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街に行くと、自信がなくなる。

街に行くと、自信がなくなる。
街に行くと、ほんとうにたくさんの店があるからだ。

購買意欲に乏しい僕には、こんなにたくさんの店が、こんなに違うしつらえで営みつづけていることが、奇跡に思えて仕方がない。

だって、なにかを買ってもらうって大変だ。知ってもらって、関心をもってもらって、お財布のひもをゆるめてもらって、そのあとも愛してもらって。しかもたった一人じゃだめで、かなりの人数にそうしてもらわなければ成り立たない。

今日も博多駅近郊のキャナルシティというショッピングモールに行き、実に多くの店の前を通った。奥さんは興味津々だったけれど、僕にとっては存在していないも同然の店ばかり。

そういうとき、別の意味でも自信をなくす。
奥さんに比べて、自分はこの場所の100分の1も体験していない。それはこの世界の100分の1も体験していないのと同じではないか。そんな状態で、仕事をしているときに、ああした方がいい、こうした方がいいと意見を述べているのは、ちゃんちゃらおかしな話ではないか、と。

街は、僕が想像するのとは違う摂理で動いている。
あのラーメン屋だって、靴屋だって、だれかが「やってみよう」と奮い立ち、誰も見向きもしないところからはじめてこんなに大きくなったのだ。その間、ラーメンや靴への興味を途絶えさせずに。自分にはとてもできない気がする。

似たようなことを、南畑美術散歩のインタビューでまわらせてもらった作家さんたちにも思う。この焼き物で、この染め物で、この絵で生きていこうと思って、生きている。そのことが驚異だ。

そのとき、僕がすごいと思うのは、品物や作品の質ではない。
それもすごいのだけれど、より感じ入ってしまうのは、それをやろうと思った心意気、そして、それを続けてきた意志のほうだ。

当たり前みたいにショッピングモールに並んでいる店には、そんな心意気と継続的な意志が集まっている。それぞれの店に、それぞれ違った歴史があって、たぶんそれは一筋縄ではいかないものだったろう。

そして、それらの店はいまだに明日をも知れないまま、続いている。

街に行くと僕は、草野球しかしていないのに、急にメジャーリーグに来てしまったような感じがして自信をなくす。「人ってこんなことまでできるんだ」という力を見せつけられ、呆気にとられる。

でもその感じは、悪くない。
そんなとき、狭い範囲だけで考えて、肥大した自分の考えがちょうどよいサイズに収まる気がする。

そして、なくなった自信は、いつしか「自分にもできるのではないか」という小さな希望に変わる。

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