いい人というのは。
南畑にきてから、名古屋にいた時より一気にたくさんの人に会うようになった。
それで思ったのだけれど「いい人だな」と感じる人は、キャパが大きい。
いいよいいよと言ってくれる。ぜんぜん怒らない。なんなら、いいんですかというところまでしてくれることさえある。なにを話してもよさそうだし、通じる感じがするから安心する。
親切な人でも、無理してそうしている感じの人からはそれを感じない。
やさしい、のだけれど、同時に「いいのかな」という警戒心のようなものが反応する。それはたぶん、親切そうに見える人たちの言動に対して、キャパシティが追いついてないことが感じ取れるからなのだろう。
キャパが大きいという器の広さは、どういうわけか、言葉を交わす前から伝わってくる気がする。部屋に入って「広いな」「狭いな」と感じるのと同じように、僕らは相手の広さを感じ取ることができる生き物なのかもしれない。
けれど、だからといって、それに甘えすぎちゃいけないんだと思う。
いいよいいよと言われた側は、その体験を糧にして、自分もいいよいいよという側になっていくものだから。
きっと僕からみてキャパが大きいように見える人たちも、過去に同じようにいいよいいよと認められ、甘える事を許されてきたのだろう。
そうやって、誰かが誰かを認め、許し、甘えさせ、いずれそうされた誰かが別の誰かを許していく。そういうふうにつながっていくと、人間関係が包容できるものは、もっともっと大きくなっていくのかもしれない。
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