海はひろいな、おおきいな。
4月上旬に、福岡県那珂川市から福岡市に引っ越した。
引越し会社は使わず、すべての荷物を自分たちで運んだ。そんな引越しをするのははじめてのことで、なかなかに骨が折れた。
それから 2ヶ月経ち、僕も奥さんも新しい仕事を見つけ、新しい人間関係の中で暮らしはじめている。
以前住んでいた那珂川市「南畑」は、距離的にも心情的にもだいぶ遠くなった。けれど、今年のはじめから 3月にかけて、あの地域で経験したことは、まだ消化している最中だ。
簡単に言うと、そこでしていた「地域おこし協力隊」の仕事が打ち切られた。それだけの、まぁ、どこにでもある話なんだけど、いままでの退職では感じることのなかった幻滅や戸惑いがあった。
かつて楽園のように思い「すばらしい地域です!」と喧伝し「ここで子育てしたい」とまで思った地域は、いま、少し曇って見える。どんなに豊かな自然があっても、助けてくれた人のありがたみに触れても、それが少数であっても、人の所業は町の印象を変えてしまう。
この曇りも時間が経てばとれて、南畑を普通の町と同じように見られる日が来るかもしれない。それでも、心の底から「こんなことがあっていいの?」と思った数ヶ月の気持ちは消えない気がする。いつかその気持ちが理解し合えるような地域になってくれたらと思う。
いま住んでいる福岡市は、徒歩圏内にコンビニもスーパーもある。
南畑とちがうのは、道ゆく途中にほうれんそうをくれるおじさんや、通りすがりに挨拶してくれる住民がいないことだ。その点、ちょっぴり寂しかったりはするけれど、利便性は格段によくなって、特に奥さんはうれしそうにしている。
僕の新しい勤め先は、障がいをもつ子どもたちが通うデイサービスだ。
元気すぎて手を焼くことも多いけれど、子どもたちと関わるこの仕事は、疲れが爽やか。ここで働かせてもらうことで、僕自身、少しずつ元気を回復している気がする。
もう一つ、僕たち夫婦が気に入っているのが、海だ。
うちから歩いていけるところに、奥さんが人のあまりいない海岸を見つけて、以来、そこに行くのがわが家の新しい習慣になっている。
裸足になって、サラサラの砂浜を歩き、波打ち際に近づくと、波が足にかかる。あまりの冷たさに「うわっ!」と声を上げて、しばらく悶えているけれど、次第に足と海水の温度が一つになる。
そうして足を海に浸したまま、ざん、ざんと規則的にやってくる波のリズムを耳にしていると、お金のこととか、仕事のこととか、日常的に考えていることが考えられなくなって、ただただ、ぼーっとしてくる。
海はひろいな おおきいな
っていう童謡「うみ」の歌詞は、本当にそのとおりだなと思い、海のことは知っていたけれど、こんなにひろくて、おおきいものとは知らなかったなと改めて思う。
そう、本当に海はひろくて、おおきい。
そのおおきさは、頭で想像しているサイズとは違う。実物はもっと、ずっとおおきい。
でも、海を離れるとすぐに、僕たちはそのおおきさを忘れてしまう。
ある時、海の向こうの山の稜線に、おおきな夕日が出て、すっかり消えてなくなるまで、それを見ていた。涙がでていた。景色を見てこんなになるのって、いままであったかな、というくらいの光景だった。
海から上がると、自分のからだが「全体」を取り戻したことに気づく。頭ばかりに偏っていた意識のつぶが、海と同調して、もう一度まんべんなく全身に行き渡った、みたいな感じ。とっても気持ちがいい。
そんな海のあるこの町で、僕は新しい仕事のことを考えている。
デイサービスではバイトの身だし、「自分の仕事」と言えるなにかをせねばと思ってはいる。けれど、大きな災難を経たこともあってか、どうしてもいままでしていたことをそのままする気になれない。しばらく海に浸かって、ぼーっとしながら、よい波が来るのを待っている。そんな感じだ。
そんな僕らは、もう少し暑くなって、水着を着て海に入るのを楽しみにしている。前に海に入ったのは、たぶん成人前。今度入ったらどんな感じがするんだろう。すごく楽しみだ。
とまあ、そんな日常を送っています。
しばらくしゃべってなかったんで、発声練習がてら、近況報告でした。あー、あー、きこえますか?
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