理解が向こうからやって来た_

「理解」が向こうからやって来た。

あられもない何かをあらわにする覚悟は、あらわれたありのままの姿をそのまま受け容れ寿ぐ責任と裏表だと思っています。

音と言葉で剥くも剥がすもこちらの力加減しだいですが、やり過ぎても、やらな過ぎても魔法が効かないのを知っている以上、逆に手加減が許されないわけです。

偽善と虚飾で魂が満たされないから、刃物振るってるんですし。やるならとことん、ありったけの愛で。斬り込みましょうよ。応援しとります❤️

という返信にとても驚いた。

これは、ただの返信ではなくて「理解」だったからだ。

この言葉を綴ったのは『あなたのうた』の紹介文を寄せてくれた中島小百合さん。その確認とお礼のやりとりをしていた最中のことだった。

「理解」というのは、普段なかなか得られないものだと思う。
なにしろ人は、それぞれに想像を絶するほど異なる経験をしているし、おまけに他人に関心を寄せる暇がないほど、自分のことばかり考えているからだ。

だから、僕自身も「理解」される感覚をこの時まで忘れていた。
最初に感じたのは嬉しさよりも「嘘でしょ」だった。

どうしてそのことを? という驚き。

小百合さんの言葉は『あなたのうた』に取り組む僕の姿勢を正確に表していた。

「あらわれたありのままの姿をそのまま受け容れ寿ぐ責任」。
作曲スキルでも、歌のうまさでもなく、これこそがこの仕事の肝だった。

さらに驚いたのは、その動機がはっきりと示されていたこと。

「偽善と虚飾で魂が満たされないから、刃物振るってる」

そうだったのか、と我ながら思った。

小百合さんとは、知り合って間もない。
実際に会ったのも、先日のライブ一度だけだ。

にもかかわらず、これまでの全人生を総括するような言葉が、彼女自身の言葉としてやって来た。まるで僕が書いたみたいだった。これを驚きと言わずしてなんと言おう。

そして図らずも、自分はこの「理解」が欲しくて、仕事をしているのだということにも気づかされた。

参加者のみなさんが喜んでくれることも、認められることも、お金をもらえることも、もちろん嬉しいし、ありがたい。でも、この「理解」の喜びは、質が違う。

このレベルの「理解」は、自分の姿を正しく照らし、「先」の景色をも照射する光のように感じられた。

すごいことができる人がいたものだ。

『あなたのうた』という仕事をしていてよかったし、毎日性懲りもなく文章を書いていて、本当によかったと思う。

理解者。そういう人を一人でも見つけられたら、人生の質はまるで変わる。

欲張りな僕は、それを何人も見つけたくて、今日もこの文章を書いている。

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澤 祐典
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