ありのままが

ナチュラル。(『ありのままがあるところ』①)

今日、読みはじめた。

冒頭にこんな文章がある。

私たちの目の前で日々繰り広げられていたのは、今の現実を否定せず、相手や環境に逆らわずに物事を自然に決定していく姿だった。目的もわからない、即興にも似た行いは彼らにとってはナチュラルなのに私たちにはハプニングに見えた。だから「そんなことをしてどうするのか。それよりか何か実のあることが実現できるようになった方がいいではないか」とすら言うこともあった。(P.12)

ナチュラル、という言葉に心ひかれる。
「彼ら」というのは、鹿児島県にある福祉施設「しょうぶ学園」の利用者たち。彼らは知的に精神に「障がい」がある、とされている。

そんな彼らのナチュラルな振る舞いを「健常」とされている私たちはハプニングととらえる。

まだ2ページしか読んでいないから、この本がどんな本かを語ることはできない。でも、冒頭から引き込まれていく。

「障がい」をもつとされる人々の境遇に、僕はあこがれることがある。
たとえば、

社会的価値や称賛とは無関係で自分自身のためだけの行為。結果は予測せず、今の状態だけに関心を払い、物事をひとつひとつ繋いでいく。その結果がたまたま作品と呼ばれることもあるだけだ。そこにはありのままの無垢な創造性と無邪気で自然な行いがある。(P.10)

こういう創作ができたらいいなと常々思う。
でも「そんなことをしてどうするのか。それよりか何か実のあることが実現できるようになった方がいいではないか」という声が邪魔をして、なかなかそんなふうになれない。

好きなことを好きなようにする。
他の人も、お金も、目的も、結果も関係ない。

そんなふうにナチュラルに行為することが、とても難しくなっていく。
このとき「障がい」があるのは、僕たちの方だ。

「今日は休みだから、好きなことを好きなだけしよう」

そんなふうに「休むこと」や「遊ぶこと」が時々とても難しく感じる。そうして退屈しているのに、どうすることもできなくて落ち込む。

しょうぶ学園とそこに暮らす「彼ら」の物語は、そうした「障がい」をもつ僕を照らすきっかけをくれるのではないか。

どんなことが書かれているかわからないけれど、そんな期待をしている。

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