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そこに「マルス」をみる。

いま観ている『ベルサイユのばら』の後半、主人公、オスカル・フランソワが画家に肖像画を描かせるシーンがある。

オスカルは自室の椅子に静かに座っている。
画家はオスカルをじっと見つめながら、色を決め、絵筆を進める。

できた画は、軍神マルスの姿をし、白馬に乗ったオスカルの肖像であった。画家は「お気に召さなければ、持ち帰って宝物にしますが」というが、オスカルもまわりの人たちも大変満足だと返す。

この感じ。
僕のしている『あなたのうた』という仕事にとてもよく似ていた。

『あなたのうた』では、最初に15分、申し込んでくれた方の語りを聞く。
しかし、できあがる歌は語りどおりにならない。大抵「語られなかったこと」が現れてくるし、不思議とそこが気に入られたりする。

語りどおりに、逐語訳のように写実的に描く方が安全だとは思うが、どうにもそうならない。

たとえば、一番新しい『あなたのうた』である「グッドバイ」の時に、発注してくれた「彼」が語ったのは、異国のオバちゃんの料理のことでも、失恋のことでもなかった。

15分間「こんなに明るい、太陽のような人もいるのだ」と感心させられるような時間だった。一言一言が生命力にあふれている。存在だけで人を心地よくさせられる人というのは、こういう人なんだろうなと思った。

太陽。青空。
そのときに感じたことは、そのようなものだったし、そんな明るい旅の歌をつくるのだと思っていた。

しかし、歌に現れたのは同じ太陽でも「夕焼け」であった。
別れと夕焼け。その陰りが「彼」の旅と笑顔に美しい陰影を与えている。そんな歌になった。

この時の「夕焼け」は、画家のみた「マルス」である。
そこには存在していないはずなのに、ありありと感じられるもの。

『ベルばら』の肖像画のシーンを観ていて「やっぱりそういうことってあるんだな」と思った。語られてもいない「マルス」が映ってしまう『あなたのうた』という仕事は、手渡すまで不安なのだけれど、それでいいんだなとも思った。ちょっと安心した。

そして、

「お気に召さなければ、持ち帰って宝物にしますが」

この言い方、いいなと思った。今度つかってみようかな。

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