遠回りしながら

遠回りすることでしか。

The long and winding road
that leads to your door
Will never disappear,    
I've seen that road before,
It always leads me here,
lead me to your door.

君の扉へと続く、長く曲がりくねった道は
決して消えることはない。
前に見覚えのあるこの道は
僕をいつもここへ、君の扉へ導いてくれる。
(The Beatles『The long and winding road』より)

昨日のスポーツ欄は、そりゃそうだけれど、イチロー一色。
大相撲春場所が行われて、貴景勝が大関取りに挑んだり、白鵬が連勝していたりするのだけれど、そんなものは地球上に存在しないかのような扱いだった(今日になってちょっと存在しだした)。

同調圧力とか付和雷同とかそんな声もある中、僕はやっぱり一昨晩に行われたイチローの引退会見を観ていた。

85分におよぶ質疑応答では「イチロー節」と呼ばれる語りが炸裂していた。
インタビュアーのちょっとどうかなと思うような質問の数々を、時にばっさり斬り捨て、時にユーモアを交えながら、イチロー選手は鬼みたいな顔で最後の思いを乗せようとしているように見えた。

この会見については、いろんな人がいろんな箇所を引用しているけれど、僕が惹かれたのはこの部分だ。

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。

だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。

進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。」

特に最後のところに深くうなずける。

間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。

自分で分かるまでは、それが間違っているとは分からない。

そういうことって、人生にはたくさんある。

「他の人からすれば誤答なんだろうなあ」と思いながら、どうすることもできない。こうとしか思えない。試してみるしかない。

そうすることでしかたどり着けない自分なりの答え、というものがある。

そのイチロー選手と番組で共演したこともある糸井重里さんは、引退前日、主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」にこんなコラムを書いていた。

「失敗は成功のもと」ということばを、たいていの人は認めています。
「そうなんだよ、失敗は成功のもとだよ」と言います。励ますように言います。強く言います。

しかし、積極的に失敗をしようとはしません。
失敗をしようとして失敗するのは、あんまり意味がないからなのだと思われます。

 (略)

そういうぼく自身も、失敗をしようとしません。
失敗してしまったという結果については、「いっぱい失敗しなきゃ、成功はないよ」なんて、慰めるような調子で言っていました。

でも、いまは慰めるような言い方ではありません。 
ほんとうに失敗は役に立つので、その経験は財産の一部だという認識があるからです。

どういうことかというと、「失敗のなかには、成功と失敗が混じっている」から。

ぜんぶ、なにもかも、まるまる失敗というのはなくて、結果的に失敗したもののなかに、次のなにかにつながるような道や関係ができていたり、途中までのところに発見があったり、再びそれを続けるための実力(技量)がついていたり、けっこう、求めようとしても得にくいような「いいこと」が入っているのです。

この「失敗で得たもの」を持っている人やチームと、そういうものを持っていない新しい人たちとでは、その先の昇るべき道のりがまったくちがいます。

「失敗は成功のもと」を根源的に言い換えると、「成功は失敗のひとつ」ということかもしれません。

10の失敗のなかに、1つ「成功」と呼ばれる失敗がある。

これは引退「前日」に書かれたものなので、イチロー選手の会見とは関係がない。でも、僕にはまったく同じ文脈のものに見えた。

「遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない」

「結果的に失敗したもののなかに、求めようとしても得にくいような『いいこと』が入っている」

成功とは失敗の一種であって、失敗すること、遠回りすることによって得られた果実がものを言う。

そういうことって、本当にあるのだと思う。

もちろん、これらの言葉は、いまの自分を励ますために書いている。
失敗ばかりしている自分だからこそ、そう思うし、思いたい。

仮に「失敗だったな」とわかっても、命まではとられない。
それによって得られる「自分なりの答え」がある。

そう思うと、少しだけ踏み出す勇気がでる、かな。
でもやっぱ、失敗はこわいかな。

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