やめたい気持ち

やめたい気持ち。

この間、友人が「会社をやめること」について熱っぽく語っていたので、「やめたい気持ちの中に、大事なことってあるよね」と言ったら、キョトンとされた。

よく考えもせず、話の流れでポロッと出た言葉だったけれど、自分で言って自分で納得した。

ぼくは、いくつかの会社や団体をやめてきている。
いろんな理由があったし、申し訳ないくらいロクでもないやめ方をしたこともあった。

でも「やめよう」と思ったそれぞれのときに、自分の中に守ったなにかは、いまでも大事なこととして残っている。

そういえば、ぼくは「どうしてやめたんですか」とよく聞かれる気がする。
ディズニーランドの会社をやめているから、人より余計に聞かれるのかもしれない。

聞いちゃいけないようなことを聞くような感じで、時には冷やかしもこめて「あんないい会社をどうして?」と聞かれると、ぼくも「ほんとにね」と思う。

それでも30代を迎えたあの頃、どうしてもそこにいられない気がして、もっと息が吸いたくて、年収も規模もずーっと小さいNPOの世界に飛び込んだこと、結局そこにもい続けられず、七転八倒したこと。

そういう積み重ねで、鼻っぱしらは折れ、「自分」は小さくなり、一方で「確かななにか」を回復したように感じている。(それでも鼻っぱしらは、まだだいぶ残ってますけどね。)

だから、後悔はない。
まあ、好きな仕事はあったから「いまの自分ならどこまでできるだろう」と未練がましく想像することは、たまにあるけれど。

ついでに言うと、そんなふうに何度も「どうしてやめたんですか」と聞かれることで、自分のことを整理して話すチャンスをもらえていたと思う。

歳を重ねるごとに見え方も変わるから、聞かれるたびに説明のしかたも違ってくる。しゃべりながら自分自身「なるほど」と思うことも多い。

だから、いまでも「どうしてやめたんですか」と聞かれると「また自分のことが掘り下げられる」とうれしく思ったりもする。

やめてやめて、それでもやめずに残っていることは、自分にとって大事なものだ。そういうものは、なんだか信頼できるように思う。

やめることをオススメはしないけれど、やめたい気持ちの中に大事なものってある。

そして、もちろん、やめない気持ちの中にも、ね。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)