ふつうがこわい

「ふつう」がこわい。

ちょっと思いついて「歌日記」というのをやってみることにした。
絵日記は文章に絵をつけるが、歌日記は歌をつける。

毎度、歌をつくるので、どのくらいのペースでできるかはわからないが、作曲の練習がてらチャレンジしてみたいと思う。

で、初日のものは、さっきつくった。
パッとつくって、その場で録音して、すぐアップ!というかたちなので、音質などはご容赦いただきたい。だんだん洗練されていくと思います。

ふつうって なんだろう
目には みえないな
そこから 離れてると
訳もなく こわくなる

こどくって なんだろう
いつも さみしいな
こんなに 人はいるのに
どうして 一人ぼっちなの

皐月の空は 今日も晴れて
悩みなんて ないみたいに澄んで
うらやましいな ああなれたなら

恋しくて 胸がいっぱいになって
だれかのこと 好きになっても
また別れの 日がくるのなら

愛することはいったい どんな意味があるの
めぐり逢えた よろこびが
こんなに 心を満たしていくのに

フェイスブックの友達リクエストの欄に「知り合いかも」という項目がある。

大抵は知らない人が並んでいるのだけれど、数日前、顔見知りばかりが現れた。

会社員だったときの後輩、
NPOを立ち上げたときの仲間、
ワークショップで一緒だった人。

なつかしくてうれしくて「友達になる」ボタンを押そうとしたが、手が止まった。

なんだかこわい。
彼らがいまの僕をみたら、どう思うだろうか。

それで結局、全員には友達リクエストが出せずに終わった。

僕はもうあの時のように「ふつう」じゃないから。

以前、勤め先の児童館で自分のしていることを団体内で共有してはどうか、と勧められたことがあった。

いい意味でそう言ってくれたのに、信じられないくらい、強い抵抗が湧き上がってきた。あのときは、特定の誰かに対する反応だと思っていたけれど、いま思うとそうではなかったのだと思う。

「ふつう」じゃない僕が、「ふつう」の人たちの前に出ていくのが怖かったのだ。大阪で知り合った仲間たちが児童館に来てくれたときにも、同じ怖さを感じて気が気でなかった。

自分がしてきたこと、していることについて訳もなく「いかがわしい」「あやしい」と思い、迫害を受けるのではないかと怖れる気持ちが僕にはある。

誰もそんなことをしたことはないのに。

両親や妹たちといても、そんな引け目を感じることがある。
どんどん「ふつう」から離れていく自分が、人生の落伍者のように思えてしまう。そして「ここに自分の居場所はないのではないか」と思えてくる。

その人たちと同じようでなければ、受け入れてもらえない。
僕が僕らしく「へん」でいると、人に引かれてしまう。

そういう怖さがある。

その「ふつう」というのは、本当はどこにも存在しない。
でも、僕自身はいつもその「ふつう」の目を気にしている。
いつからそうするようになったのか、分からないくらい前から。

そんなことを言いながら、また「歌日記」なんてへんなことをはじめている。へんなことばかりしてごめんなさい、という気持ちがある(例によって、誰も怒っている人はいない)。

でも、このへんな自分のまま生きていくしかないのだ、という妙な覚悟のようなものもあったりする。

そんなことを歌にしようと思ったのに、なぜか孤独の話になってしまった。
へんなの。

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