なんにもないクリスマス

なんにもないクリスマス。

なんにもない なんにもない
まったくなんにもない
(かまやつひろし『やつらの足音のバラード』より)

そんな気分の12月25日、世間はクリスマスである。
メリーで赤鼻であわてんぼうのジングルベルなのだ。

ところが、今年はそんな気持ちにまったくならない。
テレビもないし、都心に行くことも少ないから「クリスマスらしさ」に触れることが少ないのかもしれない。まったくなんにもない。

かつては違った。
僕は一年のうちで一番クリスマスが好きな子どもで、サンタクロースにお願いを書いて、イブの晩、ふとんに入るのが大好きだった。

妹と共有している二段ベッドの上の段で朝早くに目を覚まし、そこにお目当のファミコンソフトがあるのを見つけると、なんとも言えずしあわせな気持ちになった。

プレゼントのもらい方として、これほど奇跡的でうれしい形はないように思えた。だから、中学一年生まで僕はサンタクロースを信じていた(というか、トリックを知ったいまでも心のどこかで信じている)。

大きくなってからは、恋人との時間を愉しんだ。『クリスマスイブ』『クリスマスキャロルの頃には』『Winter song』、こう並べてみると失恋の曲も少なくないのだけれど、そんなことお構いなしにクリスマスソングのプレイリストをつくって聴きまくって気分を盛り上げた。

クリスマスソング、イルミネーション、サンタクロース、プレゼント、マジカルでロマンチック。昔となりのオシャレなお姉さんが言っていた、なにがおめでとうなのか分からないけれど大変おめでたいものが僕にとってのクリスマスだった。

でも、そういう気分も年々薄らいでいった。今夜八時になってもサンタはうちに来なくなった。

今年に至っては、すっかり「良いお年を」である。除夜の鐘が鳴りはじめ、108の煩悩を一つひとつ数え上げている。クリスマスなど「煩悩フェス2018」にすぎない。

でもね、大人になれば、あなたもわかる。そのうちに。

暦の上では、そう感じる方が自然なのかもしれない。大人になれば、クリスマスのような人工的につくられた魔法には、かかりにくくなるのかもしれない。

でも、ちょっと寂しいなぁとも思う。あのキラキラした、ウハウハした気分にもう一度浸れるなら浸ってみたいと強く思う。

そんなことを思いながら、今朝も目覚めた。
枕元になにかないかな、と思ってみてみたけれど、なにもなかった。

よい子じゃなかったからかな。

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