会って話さないと喋れないことってありまさーね。
夜、仕事から帰ってくると、奥さんは職場で起きたことを話す。
湯水のように出てくるそれを聞いていると「外ではこうはしゃべれないよな」と思う。
話の中身はなにげない日常の、なにげない一コマだ。不謹慎なこととか秘密にしておかなければならないことはあまりない。むしろ、平凡すぎるからこそ、外では話されないといったらよいか。
でも、その話の中には平凡であるがゆえの魅力が詰まっている。
出てくる人も起きる出来事も実話だからこそ面白い。
だから聞いている僕は「ああ、なんかこういうのいいな」と思う。
こういう話は、人と会って話さないと出てこない。いま、こうして書いている文章でも、SNSの投稿やメッセージのやり取りでもなぜかできない。講演会やイベントに登壇する人たちが「楽屋が一番面白いんだよね」と話すけれど、そんな感じ。閉じたところで、会って話さないと。
その意味では、今週土曜日にひらく『髑髏(どくろ)の円坐』は楽しみだ。
「人間、ときどき毒を吐かんとね」というこの記事がきっかけになって開かれる場なのだけれど、
毒を吐かなきゃいけないわけではないし、別にしゃべらなくてもいい。円坐では起きる全てが「演し物」になり、沈黙でもなにかは現れてくるから。
ちなみに、髑髏という名前は「毒露」とも読めるし、語呂がかっこいいなと思ってつけた。その時、思い浮かんでいたのは、だいぶ昔にみた『髑髏城の七人』という劇団☆新感線の舞台。筋はもうあまり覚えていないけれど、いま検索すると「捨之介」「天魔王」「蘭兵衛」といった名前が出てきて、あの時の興奮が思い出される。
そんな話をすることになるんだろうか。しないような気がする。
でも、この日、この時、こんなかたちでなければ喋れないことがきっとある。別に無理に話すこたぁないのだけれど、こんな時だからこそ言葉にしてみたいと思って出てくる言葉が。
土曜日、そういう言葉に出会えるんじゃないか、そして、僕の口からも思いもよらない言葉が出てくるんじゃないかと楽しみにしている。
でも、どんな予想や期待をしても、その通りにはならない。
それが何の目的ももたない円坐の面白いところでこわいところでもある。
記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)