現在で会いましょう。
時々、実家に帰って両親と話をすると、二人がずいぶん変わっていることに気づく。
なんだか柔和で丸くなっているのだ。
僕は、いつからか両親の価値観の外の "けもの道" を歩くようになった。そこでの出来事について、伝わらない説明をするのが億劫で、近況を報告することがつい遅くなってしまう。
報告するときは決まって大きな変化があったとき。それはいくらかの緊張と熱気をはらむ。本当はそうしたくないのに、どうしても大げさになってしまう。
そんなとき、両親の柔和さに救われる。今日など「ま、もう少し軽く生きたら?」と父に言われて、ほろっと涙が出た。
やりたいことをやり、生きたいように生きるのは、自由で気楽に思われるかもしれないけれど、人知れず大変なことがある。言葉で説明できないようなことも起こる。そうして抱えるつらさや悲しみもある。
そんな中でかけられた「もう少し軽く生きたら?」という言葉は、いつも僕が言っているようなことなのに、それが父から返ってきたのはつくづく驚きだった。
近況報告が億劫になるのは、離れたところで僕がかつての両親を思い浮かべるからだ。決して理解してもらえなそうな、そんな父と母を。
でも行ってみると、そんな人はいない。
現在の二人は僕の記憶の場所にはいないからだ。
両親にかぎらず、誰かに会うことはいつも「はじめまして」だ。僕だって日々変わっている。「はじめまして」と「さようなら」を繰り返して、僕らは出会っている。
過去ではなく現在で会うと、思ってたよりいい感じになることが多い。そこで嘘をつかなくてよければなおさらだ。
にしても、70代になって人があんなふうにいい感じに変わるのは驚きだな。とてもいい見本を見せてもらっている気がして、ありがたい。
空には梅雨明けの月が出ている。
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