梢

人には「お役目」というものが、あるのだろうか。(メルマガ『生きているQ』より)

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。(ご登録はこちらからどうぞ。)

こんばんは。澤です。

聴いていただき、
ありがとうございます。

いきなりですが、最近よく

「役目」

というものを
意識することがあります。

たとえば、うちの家族でいうと、
妹夫婦が四人のめいっ子を連れて、
両親に「生」の光を浴びせるならば、

ぼくは、二人と年相応の
「死」や「陰」の話を
しんみりとする、とか。

そんなふうに、
その場にいる人や環境の中で
一定の時間と空間を占める自分が、

いま、
どんなはたらきを
発揮する役目なのか

ということが、
ぱっと了解できる。

「あ、おれはいま、
 これをするんだな」

という感じで。

そんなことが
しばしばあるんです。

それは、
誰からも命じられていないのに
仕事みたいに思えます。

そして、
それを果たせると
充実感があります。

文字通り、
「事に仕えている」感じ、
といったらいいでしょうか。

この役目を
「お役目」というと、
すこし怪しい感じが
混ざるものの、
ぴったりに思えます。

それは
個人的な意見や思いよりも
優先される感じがして、

あまり気が進まなくても、
それを果たすことの方が
大事に思えることが多く、

結果は、
その判断が正しかった
と示してくれます。

「なんのために生まれてきたか」

という大げさな問いが、
そのときには
満たされる感じさえします。

かつて、
会社員だった僕は
自分が組織の歯車に
例えられるのを嫌いました。

けれど、いまは
世界全体の歯車ならいいかも
と思うようになっています。

自分がまわることで
なにかが円滑になるのならば、

そんなふうに
「お役目」を果たせている
実感がもてるのならば。

でも、個人的には歯車よりも、
先日、橋本久仁彦さんがしていた
植物の先っぽという
たとえのほうが好きです。

ぼくらはみな、
大きな植物の梢のようなもので、
いま、まさに開かんとしている。

どんな花が咲くかはわからないが、
その開花は、全体に資する。

いつからそんなふうに
感じるようになったのかは
わかりません。

あまりにも個人的な感覚だから、
話しても伝わらないかもしれません。

けれど、果たせると

「ああ、生きててよかったな」
「この自分でよかったな」

くらいの満足感がある
「お役目」というものが、
ひとりひとりにあるような
気がするんですよね。

確かめようもないし、

自分勝手な物語の中で、
夢みたいなことを
言っているのかもしれないけれど、

ある気がするんです、
「お役目」って。

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