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STARS
やばい。
今日は書くことがないかもしれない。
今日は一日、奥さんと過ごした。
とても楽しかった。以上。
というような日だった。
そんな日には、いちいちなにかを書いたりしなくてもいいのかもしれない。「面白かった」で終わる映画が駄作とは限らないように、書けないからといって意味がなかったわけではないのだから。
でも、さっきふっと思い出したことがある。
それはこの「書くほどのことでもないこと」の大切さだ。
とても楽しい一日になる前、僕と奥さんはシビアな状態にあった。
「今度こそ駄目か」という考えが何度もよぎった。
実際には、大丈夫だった。今は「やっぱりね」と思う。
でも、綱渡りというか、首の皮一枚というか、間一髪という感じだった。
自分の中の傷の痛みに耐えかねて、人とつながれないとき、いまがどうしょうもなくしんどく思えてしまう。
そんなときには、過去の話も未来の話も役には立たない。
過去の栄光や未来の希望はイメージに過ぎないから。
今日、役に立ったのは、抱擁のぬくもりやいっしょに食べたクレープの味。「これ、おいしいね」と言って笑うひとときや、ちょっとした冗談だったりした。
それらは「書くほどのことでもないこと」だ。
でも、その圧倒的な現在性は、しんどい思いをして暗闇の中にいるときの光になる。
「ほら、ここに灯りがともっているよ」
と、いま、ここで、肌身で感じられるものを共有できるからだ。
つらいことが続いて、暗い考えに疲れて、お先どころか、なにもかも真っ暗に思えても、その間には必ず、ぽつん、ぽつんと小さな光が灯っている。
お笑い番組で笑ったり、ふとんがあったかかったり、空が晴れていたり。
なんの変哲もない、日常的な光が、必ずある。
それらはあまりにちっぽけで、すぐに暗いイメージの雲に覆われてしまうものだ。
でもね、暗い部分のほうが多いからといって、夜空に星がないわけではない。小さくても、雲に覆われていても、星はちゃんと光っていて、空全体を輝かせている。
その場その場では、すぐに消えてしまう光かもしれない。
でも、全体としてみたら、星空と同じようにまたたいている。
今日「クレープおいしいね」と言って泣いたとき、そんな気がした。
「書くほどのことでもないこと」って捨てたもんじゃないなと思った。
首の皮でも、髪の毛一本でも、奥さんとまたつながれてうれしい。
明日のことはわからない。でも、今日つながっている。
そんな危うい関係にもかかわらず「パートナーシップのなにかをやったら?」と名鉄の中で彼女が言ったので、こんな文章を書いてみた。
僕にパートナーシップのなにができるのだろう。
どう思いますか。
僕はこう思っています。
ただ仲良く暮らしたいだけなのに、
どうしてこんなに難しくなってしまうのだろう。
どうしてこんなに苦しいんだろう。
それを他の人とも助け合いながら、見つめてみたいなって。
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