男が男になりたくないとき

男が男になりたくないとき。

今朝、起き抜けにその言葉がやってきた。
降ってきたと言ってもいい。まだ「考える」をはじめる前の、マッキントッシュで言えば、ボーンと音が鳴って起動しているくらいの時間だったからだ。

その言葉は、驚きだった。
「ええっ?」と思ったが、そうかもしれないと思い直し、考えはじめた。

なんの話かというと「男が男になりたくないときって、どんなときだろう」と考えていたのだ。

僕は「男が『男になる』とき」というワークショップをやっている。この中で男性が自らの内にある力につながり、男として目覚め、恋愛、パートナーシップ、仕事といった分野で活躍してもらうことを意図している。

でも、このワークショップに強いニーズがあるということは「男になる」男性が少ないということだ。だとしたら、男にならないことには強いメリットがあることになる。

男にならない方がいいとしたら、それはなんだろう。

僕の場合「女の子に好かれたいから」だと思っていた。

「自分は安全ですよ。牙はありませんし、やさしいです」

そんなふうに擬態して、僕は女友達の輪の中に入っていった。
「さわちゃん」という呼ばれ方にその名残りがある。丸くてやさしい、無害な男。男性の中よりも女性の中にいる方が心地よかったから、それは好都合だった。

でも、まさに女性だらけの『魂うた®︎』の場で、それが覆されることになる。自分では「暴力的」「嫌われる」と思っていたような大きな声、距離の近さ、攻撃的な表現が、女性の歓声を浴びることになった。

「もっと男でいてほしい」

その声は熱烈で切実だった。「男が『男になる』とき」は、そうした声から生まれたワークショップで、女性たちこそが生みの親と言っていい。

要するに女性たちは、男に女のようでいてほしいなんて思っていないのだ。

また、僕が男になることを避けたのには「甘えたい」という理由もあったかもしれない。

男になってきちんと立ってしまうと、弱さを認めたり、人に甘えたり、頼ったりしづらくなるのではないかと思っていた。依存心があってはダメだと思っていた。

実際、僕は弱みを見せないまま、強がるようなところがある。「やさしい人です」と女性たちにアピールしながら「強い男です」とも言いたがったのだ。

けれど、むしろ弱みを聞いてもらった人との方がずっと緊密な関係を築くことができた。強さとは、弱さを隠さないこと、その不安や悲しみ、寂しさといった傷とどう関わっているのか。その姿から立ち現れてくるものであることを知った。

いまでも弱みを見せるのは、上手とは言えないけどね。

必要なところを助けてもらいながら、自分にできることをする。
そうした協力関係に気づくことができたのも、自営業をはじめて、自分の力で立とうとして挫折し、弱みを知ってもらうことができたからだ。

これらは男が男になりたがらない有力な理由に思えた。
でも今朝気づいたことは、それらではなかった。

「母になりたかったから」

朝一の寝ぼけた頭に入ってきた言葉は、それだった。

「母に好かれたかったから」ならわかる。男は乱暴だから母に好かれないと思い、やさしくていい子になろうとしたとか、母に甘えられる喜びをずっと味わっていたいとか、上に書いた二つも母につながっているのは確かだ。

でも、「母になりたかったから」の方が近い気がした。

僕は女性の話を聞くことが好きだし、得意だ。
女性の話は途中であちこちにワープする。僕はそのワープする言葉のひとつひとつをつなげて、星座のように話を理解する。やがて星座はたくさんになり、その人の世界は宇宙となって広がっていく。

「男は女の話が聞けない」という話はよく聞くし、そのことにフラストレーションもあるみたいで、僕のそういう聞き方はいつも女性たちから驚かれた。「こんな男の人もいるんだ」と。

自分にとってはふつうのことなので、特に気に留めてはいなかったのだけれど、誰もがそうではないらしい。

どうしてそういうことができるのかというと、母の話をずっと聞いていたからだ。母のワープとともに飛び、その世界が構築されていくのを楽しんだ。

母はシンガーソングライターだ。作家である彼女の思考の中にある世界は、それはそれは想像力に富んでいて、ワープもものすごかった。

そういう話についていくことで、僕は母になりたかったのだと思う。
たぶん子どもとはそういう生き物だ。

加えて、母の好きな音楽を聴いてみたり、その「好き嫌い」をもとに自分の価値基準をつくったりもしていた。母のように好むことで、母と同じであることを伝えたかった。そうして、僕は母を安心させたかった。

僕にとっての同調圧力は、自ら望んだものであり、母との関係から来ている。そして、僕が男になることは、母とは違うと認めることを意味し、母から離れ、自立することも意味していた。

それは優しさを失くし、甘えることは許されず、母を安心させられない存在になることだと思い込んでいた。

でも、違う。
男になることは、力を取り戻し、自立して活躍することで母を喜ばせることができる。社会の方にはたらきかけることで母を安心させることができる。

そして、甘えることもできるんだよ。いつまで経っても、母の息子であることに変わりはないのだから。人がマザコンと呼んだとしても、知ったことか。母が好きで、なにが悪い。

大人の男になっていくことは、たしかに母の子どもであることからは離れていくかもしれない。けれど、大人には大人なりの、男には男なりの喜ばせ方、大げさにいえば愛し方があるのだと思う。

男が「男になる」とき。
それは、男として立ち、親ばなれすることを意味する。

41にもなって親ばなれなんて恥ずかしいことかもしれないが、でもそうだ。

男が「男になる」とき。
それは力を取り戻す喜びと、同時にちょっと寂しい瞬間でもあるんだね。

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