「話を聞いていない」とは、どういうことか。
「そんなところにいたんだね」
深夜、僕は奥さんにそう言った。
それは僕が彼女を見失っていたこと、そしてなにも話を聞いていなかったことが分かった瞬間だった。
最近、僕は調子がよかった。
ブログやメルマガで発信をつづけ、反応も増えてきていた。
行動すればするほど「次にすべきこと」が見えてきて、「自分がなにをするためにいるのか」も明らかになる手応えがあった。
もっと先へ。
僕は急いでいた。行きたい未来があったからだ。
それは僕が「男」になり、お金が稼げていて、奥さんが安心していて、いっしょに暮らしていて、子どもやペットがいて、いろんな国を巡っていて、とにかく人生をめいっぱい楽しんでいる未来だった。
焦っていたわけではないと思う。でも、常に足りないと思っていた。
そういうことを自分に言うのはいいと思う。
けれど、僕は奥さんにもその強さとスピードを求めてしまった。
「もっとコミットしてほしい」
「いい加減、そこから飛んでほしい」
「中途半端だ」「失礼だ」
「もっと速く」
奥さんの気持ちや事情も知らずに、僕は希望を盾にしていろんなことを言った。彼女の歩みが遅いように感じられて、イライラしていた。
そして昨日、僕たちは大ゲンカをした。
僕が怒りをぶつけ、彼女が爆発した。
「勘弁してほしい」
と彼女は言った。僕はその意味がわからなかった。
オレはこんなにやってるのに、どうしてそのままでいいと思っているんだ?
心底そう思っていた。自分だけが頑張っていると。
でも、そうではなかった。
一通り大きな感情をぶつけ合った後、僕は黙って、彼女の話を聞いた。
そこには罵詈雑言もあったけれど、その奥から聞こえてきたのは「つらい」という気持ちだった。
いろんな人の言葉が刺さるように感じられてしまうこと。
それは転移による反応かもしれないけれど、それでも痛いと感じること。
つらくてしかたなくて、身動きがとれない。
そんな弱った彼女が見えた。
自分が言ったすべての言葉が、完全に的外れだったと気づいた。
この話を聞いていたらとても言えない、と思った。
それが、僕が正気に戻った瞬間だった。
「話が聞けていなかった」と僕は知った。
僕たちはそれまで、それなりに仲良く暮らしていたつもりだった。関係がよくなったとも思っていた。でもそれは、彼女が自分の反応と戦って、一生懸命笑っていてくれたおかげだと分かった。
「いっしょにいるときは仲良くしたいから」と彼女は言った。
「怒らないように」と彼女は気遣い、僕もまた「怒らせないように」と話題を選んでいた。
でもそのことによって、彼女の痛みは居場所を失ってしまったのだと思う。
話が聞こえるようになって、彼女の現在地がわかると、僕たちの間に交流する感覚がよみがえった。
以前、本当にダメになりそうなときに「きくこと」の師匠、橋本久仁彦さんに丁寧に話を聞いてもらって取り戻した、あの感覚だ。
それはとても心地がよかった。「となり」にいるという実感があった。
話していても、黙っていても、しあわせだった。
こここそが、僕の居場所だと思った。
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
人は願いを叶え、人生をうまくいくようにしたい生き物だ。
しかし、実際にうまくいってしまうと、他者を見失いやすい生き物でもあると思う。
あまり語られないことだけれど、いわゆる「できる人」にも孤独がある。
うまくいっていること、そのことによって相手の気持ちが分からなくなったり、批判されなくなったりして、他者と距離が空いてしまう。
うまくいっているから気分はいい。
でも、いつもどこかで引き留められる感じがする。
それを無視してしまうと、関係はちぎれてしまう。
おごれる者が久しくないのは、そのせいだと思う。
僕は昔から、自分と同じペースで走れない人にイライラしがちだった。
どうして分からないんだ。
もっと深く考えられないのか。
もっと速く走れないのか。
直接言わないまでも、そう思うことが多かった。傲慢なのだ。
どんなにうまくいっても、人がついてこられないところにいるのは寂しかった。また、誰かのことを「足手まといだ」と思ってしまう自分がいやだった。
けれど、相手は相手で、自分のペースで人生を歩んでいる。そこには本当は早いも遅いもない。
わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために
生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために
生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、
私たちが互いに出会えるなら
それは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれば、
それも仕方のないことだ。
(「ゲシュタルトの祈り」より)
人生は、大事な人といっしょに走らなければ意味がないし、二人三脚は一人で走るよりも大変だけど、豊かだと思う。
でも、いつかまた僕は関係をぶっちぎってしまうんだろうかと不安になる。
人は変わる。先のことは分からない。
そういうものだけれど、やっぱり怖い。
だからこそ、いま思っていることは、とても大事なことなので、未来の僕にも言っておきたい。
人生は、大事な人といっしょに走らなければ意味がない。
その人の「となり」に行くことは、後戻りでも、遠回りでも、ましてや足手まといでもない。
そここそが、僕の居場所だ。
そこからしかはじまらない。
そう言い聞かせて、また聞けないくせに、次の関わりに向かっていく。
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