今、生きている文脈。
『ティール組織』は、僕にとって 2018年を代表する本で、とても感銘を受けた。実際、勤め先の児童館で開いている中高生の学習会は、この本の考え方を下敷きにして運営され、驚くほどの変容を見せている。
その作者、フレデリック・ラルー氏を訪ねた旅の記録を昨日読んだ。
一読して「いのちの循環」と表現されるコンセプトに興奮した。
そして、学習会での子どもたちとサポーター、あるいはサポーター同士の間に変化をもたらしたものが、ここで言う「いのち」だったように思えた。
今日、もう一度読んでみた。
すると、一度目には気づかなかった重大な一行に気がついた。
相手の背景をお聴きすることで、その方が自然と今、生きている文脈を感じることができ、次の半歩の芽が生まれてくるのではないか
今、生きている文脈。
いい言葉だ。どくどくと脈打つ血管のイメージ。
僕にはこの一言が「きくこと」の魅力を、的確に表しているように思えた。
話を聞くことで、僕たちはその人の背景にある過去の出来事や感情、感覚に触れることができる。聞けば聞くほど、それは複層的に重みを増していく。
そして、聞き終わった後、その人の発する一言一言が、聞く前とは同じでないことに気づく。とてつもない個人史が積み重ねられた一言なのだ、という重大かつ「当たり前のこと」に気づかされる。
同じことを、記事では次のように語っている。
「hopeやpainを打ち明けるようになると、次第に、経営者自身のwholeness(個人としての全体性)が開かれてくる。すると、purposeへの自覚も高まり、そのpurpose自身が前と比べて変化していることも感じられるようになるんだ」
「wholenessの土壌が豊かになれば、埋もれていたpurposeに光があたり、purposeが動きだす。すると、実は、purpose自身が変化していたことに気づくことができる。結果として、purposeが進化している、ということなのだろう。」
『ティール組織』の用語が並ぶが、僕なりに訳すと、人は、自らの希望や痛みを打ち明け「全体としての自分」を聞いてもらえると、本人の中で自分の全体像が再認識されて、いままでしてきたこと、生きてきた時間がなんのためであったのかという自覚が深まる。
そして、聞かれる前には「このため」だと思っていた目的が、もっと深いものであったことを知る。ちょうどそれまで通っていなかった電線に電気が通り、明かりが点くことによって、景色全体が見えるようになるみたいに。
どくどく、とその人の全体に血が通う。そして、僕たちはその人の影になっていた背景の深みに驚嘆する。
そのとき、おそらく語った本人も驚いている。
「この人ってこんな人だったのか」と。
語った人と聞いた人がともに驚いている。
深く聞くとき、僕たちはそんな瞬間に立ち会っているはずだ。
この記事を僕は、そんなふうに読んだ。
あなたが誰で
何の為に生きてるか
その謎が早く解けるように
鏡となり傍に立ち
あなたを映し続けよう
そう願う 今日この頃です
Mr.Children『Mirror』より
「澤 祐典」をやっている僕は、毎日やっていながら、自分のことをよく忘れる。なぜここにいるのか。なんのためにこんなことをしているのか。分かっていたはずのそれが、なぜだかずれているような感覚に陥る。
そんなとき、人に聞いてもらうことで、そのずれが正しかったこと、すなわち、自分の目的がすでに進化していたことを知る。
僕たち人と人とは、鏡のようにしてお互いを映し出す光となる。
その明かりに照らされて、僕たちは自分の姿を見ることが可能になる。
冬の寒い日に、あったかい風呂に浸かるみたいに、聞く人は語る人をあたため、ほぐすことができる。そして、そのとき「今、生きている文脈」が明らかになる。
希望も、痛みも、すべてが明らかになったとき、人は誰から強いられることなく、自然に次の一歩を踏み出す。
そのおのずと、の力にたまらなく心惹かれる。
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