名前。それは燃えるいのち。
僕たちは赤ちゃんをいろんなあだ名で呼ぶ。
ペロ山ペロさん。エー・ウーさん。あぶく谷ぷくさん。
ペロさんはおっぱいが欲しくて、舌をぺろぺろさせているときの名前で、エー・ウーさんは、おなかがすいて、僕たちを呼ぶ声からつけた名前。あぶく谷のぷくさんは、最近、口のまわりにあぶくやよだれを出しているときにそう呼んでいる。これからもあだ名はどんどん増えていくことだろう。
そんな赤ちゃんにも名前がない時期があった。
うまれてから出生届をだすまでの四日間、赤ちゃんは ”名もなき者” として生きていた。
なんでもあり。なんとでも呼んでくれ。そんな「ただ人間」である状態は、なんだかうらやましい気もした。僕が届けを出して、名前がついてしまったら、その自由さが失われてしまう気もして、すこし気が引けた。
そうは言っても、抱きかかえるとき、ついつい名前を呼びたくなってしまう。「ごめんね、〇〇くん」というときに、〇〇の中身がないと、締まらない。名付けというのは、関わりのはじまりなのだと思う。
もちろん、うまれる前から本名は用意していた。妊娠が分かったその日から、僕は何か月も頭の中で考えていた。姓名判断のサイトを何度も検索して、でも最後まで決めきれずに、ようやく奥さんに「こんな名前はどう?」と相談したのは、出産直前の、最初の陣痛のときだった。そのへんにあった紙にサインペンで書いたその名前を見て、奥さんはちょっと泣いた。
出産から三日後、病院の個室で、僕はその名前を出生届に書いた。奥さんは用紙を見て、またちょっと涙ぐんでいた。出生届の左下には「事件簿」という文字があって「ああ、たしかにこれは事件だ」と思った。
翌日。区役所の市民課、2番窓口。760番の番号札を持って、僕は座った。そして、持参した出生届を係の人に渡した。係の人は、足りないところを書き足してくれて、それから漢和辞典のような辞書を持ってきて、赤ちゃんの名前を一文字ずつ確認してくれた。
一年ちかく考えていた一文字、一文字が読み上げられ、確認されていく。「はい、そうです。」と答えるたび、なんだかこみ上げるものがあって、こぼれないようにするのが大変だった。
「写真は撮らなくていいですか」と係の人は言ってくれた。受理されるともう見ることはできないそうだ。スマホを取り出し、出生届を撮影した。
こうして、赤ちゃんの存在が公的に認められた。日本国民になり、福岡市民になった。「僕たち同じ戸籍に入れたんだね」。児童手当の申請のため、二階に上がろうとして、またウルっときたので、ハンカチで目尻をおさえた。
子どもに名前をつけることを「命名」という。
「名前、それは燃える生命(いのち)」とゴダイゴはその昔、名曲『ビューティフル・ネーム』で歌った。
いつか、赤ちゃんもたくさんの友だちに名前を呼ばれる日が来る。
いまは僕と奥さんと、身近な十数人しか知らないこの名前が、どんどん広がっていって、ずっとずっと人生に寄り添っていく。
ちなみに、ここまで読んできて期待された方には申し訳ないけれど、このサイトでは、赤ちゃんの本名は伏せることにした。人生の広がりとともに、名前が一人ひとりに広がっていく過程が美しいと思ったことと、本人に許可をとっていないのに知られるのはいやかなと思ったので。
でもいつか、知り合いになる機会があったら、めいっぱい、その名前を呼んであげてほしい。あなたの声を通して、名前にさらにいのちが宿るから。
Every child has a beautiful name.
その美しい名前をつける機会に恵まれたことを、毎日呼びかける立場にいることを、心からありがたく思う。
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