さんまさんとジミーちゃん。
あのな、この世に笑えへんようなことなんか、なんぼでもあんねや。
でも、それ全部おもろい思うて、笑うたったら、笑った者の勝ちになんねやて! そういうふうに出来とんねん!
Netflix の ドラマ『Jimmy』を見終わった。
思っていたより、ずっとよかった。
人間というより動物に近いジミーちゃんが、天才・明石家さんまと出会い、芸人になり、やがて世界的な画家として独り立ちするまでの物語。
「アホみたいなホンマの話」というサブタイトルどおり、ウソみたいなエピソードが次々に紹介される。そして、観れば観るほど「ジミーちゃん、よく道を踏み外さずに生きてこられたなあ」と思わされる。
画家になったのだって、島田紳助さんが番組のオチに使おうと、さんまさんに絵の描ける人を探してもらったのが、きっかけ。その深夜番組で信じられない高評価を受けて、たまたま岡本太郎さんが観ていて、手紙を送ってきたりして。
そんなことってあるのか、と思わずにはいられなかった。
そしてなにより「明石家さんまに出会えた」という奇跡的な幸運が、誰もでも訪れるわけではないんだよなあと思う。
お前なあ、自分のこと、みじめや思うてるやろ。
アホ! お前ほどみじめって言葉、似合わんやつおらんで。
お前のその本能におうたら、だれも勝たれへん。
笑うてみぃ。いままでの自分、笑い飛ばしてみぃ。
そしたらな、お前のこと、いじめてきた奴とか、からかってきた奴とか、これ全部見返せんで。
ドラマの中盤、さんまさんはジミーちゃんのことを「あいつはオレや」と言う。そして、事あるごとにジミーちゃんを助ける。
その師弟関係が、天才芸人と天才画家の花を咲かせた、といったら言い過ぎだろうか。
でも、この世でたった一人、どんな失敗をしたときでも「ええで」「笑えるやん」と言ってくれる人がいてくれたら。「自分にはなんにもあらへん」と思っている人が独り立ちできるまでの間、居場所になってくれたなら。
たった一人。
昨日亡くなった内田裕也さんについて、奥さんの樹木希林さんは、父の不在を問い詰めた娘にかつてこう言ったそうだ。
「だって、お父さんにはひとかけらの純なものがあるから」
ひとかけらの純なもの。
それを見つけてくれて、大事にしてくれる人。
そういう人が、人の生きていくよすがになるのだと僕は思う。
よすが、という言葉は、漢字で「縁」と書くけれど、そのようなものがアホだろうがなんだろうが存在しうることを思うと、なんだかちょっとだけ励まされる。
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