テーマパーク。
それははりぼての作られた楽しさだったように思う。
この一行を読んで、ハッとした。
それは、僕の人生全体を貫くような一行だったからだ。
歌のワークショップ『魂と繋がる歌の唄い方®️』(魂うた)に参加してくれた村瀬彩さんが、感想をフェイスブック上で綴ってくれた。
先の一行は、その中のもの。彼女といっしょに『魂うた』に参加した、友人の歌について書いた部分だった。
彼女がはじめに好きな歌をうたったの。
曲名はもう忘れちゃったけれど、なんだかファンシーというか、ふわふわとした楽しい感じのうただったような記憶がある。
彼女もうたいながら、どこかおとぎ話のなかにいるようなかんじだった。
ちょっと鋭く書くと「楽しいってこんな感じだよね」というような、それははりぼての作られた楽しさだったように思う。
2008年に会社をやめた後、僕はいくつかの職場で働こうとしたが、いずれも続かず、フラフラとニート状態になっていった。
お金はあった。前の会社の退職金がかなりの額になっていたから。
そのお金で、僕は気に入ったセミナーやワークショップに手当たり次第、通っていた。
「楽しい」と思っていたし、まわりにもそう言っていた。
でもいま思えば、それはまさに「はりぼての作られた楽しさ」だったと思う。
彩さんの言葉を借りて、ちょっと鋭く書くならば、当時の僕は自分を閉ざし、心の中に自分だけのテーマパークをつくっていた。
そこには、楽しさや安心感、快適さがあり、不安や怒りといった不快なものは排除されていた。そうした環境をお金で買って整備していたわけだ。
実際、楽しかったし、その中には「人の話をきくこと」など先々まで続く大事な経験が含まれていた。『魂うた』にもその流れの中で出会うことになった。
でも、そんな生活は長くは続かなかった。続かなくてよかったと思う。
楽しく暮らしていたはずなのに、まわりに人がいなくなり、僕はひとりぼっちになった。お金が乏しくなり、最後は壊れ、精神科に一週間入院するまでになった。
あんなに楽しかったのに、なにがいけなかったのだろう。
彩さんが綴る、友人が歌った二曲目のエピソードがヒントになると思う。
その後に、今度は嫌いな曲をうたった。
うたう前に彼女は言ったの。
「この曲、自分の内面にはぜんぜん見当たらないくらい、自分の対極にあって、実はものすごく嫌いなうたなの」
ところが、その曲をうたい始めた瞬間、
ことばとは裏腹に、圧倒的なほど生々しくダークな感情が私の胸にギュギュッと迫ってきたのだった。
苦しいくらいの、それは吐き出されたなにかだった。
「ない」と、彼女が言い切った感覚そのものが、彼女の全身から溢れるようにして立ち現れるのをうたの間じゅう、ただ呆然と見守り続けていた。
「ない」と言い切ったものは、実はあった。溢れるほど。
僕が排除したつもりでいた不快感は、なくなったのではなく抑圧されていただけだった。
人生には、時として信じられないほどつらいことが起こる。
でも、大抵の場合、それは人が変わるきっかけになる。
僕にとって、入院から回復に至るまでの過程は、まさしくそうだった。
どんなことでも本当の理由は分からないものだけれど、僕はあの時期に、元々あって抑圧されてきた不快感が、強烈に吐き出されたのだと思っている。
いま思えば、結婚生活が壊れ、別居状態になったのも同じことだった。
「やさしい夫」というキャラクターがいる「たのしい家庭」というテーマパークをつくろうとして、僕は怒りを抑圧し、炎上して、失敗したのだ。
場面は、彩さんの書いてくれた『魂うた』の日に戻る。
好きな曲を歌い、嫌いな曲を歌い、三曲目に友人が唄った歌は彼女にこんな印象を与えた。
そして、再び。
もう一度、好きなうたをうたって、
と澤さんが言って、
最初のファンシーなうたを
うたい始めたとき、
そのうたは、
はじめとぜんぜん違って
作為のない
彼女から自然と流れ出る
穏やかなやさしさが
表現されるものへと変化していた。
あざやかで驚くべき変化だった。
何がどうしてこうなったかはよく分からなかったけれど、私はこうして彼女が「魂と繋がる瞬間」を目撃したのだった。
嫌いな曲で吐き出すことで、なにかが変わり、好きな曲が自然に伝わるようになる。
同じように、危機を経るたびに、僕は生きやすくなり、まわりに人が増えていった。
いつの間にか「楽しく働きたい」という望みがかなっていた。
人とかかわれるようになった。
奥さんとの関係もよくなった(いまのところ)。
僕はたぶん、僕らしくなったのだと思う。
彩さんにはじめて会った頃は、ニート状態になりはじめた時期で、当時の僕は「自分の感情がわからない」と言って、彼女の気持ちを「へー!」「それってどんな感じ?」と尋ねていたそうだ。
感情がわからなかった僕が、いま「感じる」仕事をしているのだから、人生は分からない。
いまよりだいぶ柔和に、ふんわりと笑っている自分の顔を見て「お前、これから大変だぞ」と言いたくもなるが、でも、こうも思う。
僕はずっと、生きていくことが不安だったのだ。
だから、ポジティブな言葉で魔法をかけて、テーマパークに逃げ込みたかった。
そのためには、負の感情を感じちゃダメだと思っていた。
感じたら壊れてしまうと怖れていた。
ひとりぼっちだったから。
人は多かれ少なかれ、肯定的な言葉で魔法をかけ、自分を奮い立たせようとする生き物だと思う。でも、それは行きすぎると、他者や現実を切り離す呪いになってしまう。
僕は「こわい」「腹が立つ」といった負の感情を感じないことを「強いこと」だと勘違いして頑張っていた。
でも、だれか他の人と繋がっていたら、そんなに必死にならなくても大丈夫だったのだと思う。負の感情を感じて、弱くなったように思えても、ちゃんと戻ってこられるのだから。
本当の安心は、人の中にある。
まあ多少、面倒なこともあるけれど。
長くなったけれど、僕はそんなふうに失敗を繰り返してここまできた。
でも、巨きな目で見ると、どこにいるときにもちゃんと必要な方向に向かう手助けがあったことに気づく。
たとえば、ニート状態で心のテーマパークをつくっているとき、僕を思いっきり叱ってくれた後輩がいた。
そのときには「なんでそんなに怒るんだろう?」とビビったけれど、あれは救いの手だったのだ。きっと、そんなふうにいつでも、差し出されているものなのだ。
気づいていないだけで。
その後輩は女性で、思えば、奥さんと同じような怒り方をしていた。
だから、ある意味では、なんも変わっちゃいないのか。
少しは懲りた方がいいのかもしれない。
やれやれ、どう閉じたらいいか分からなくなってきてしまったけれど、語り部の彩さんを除く、この話に登場する人全員がテーマパークの仕事の経験者っていうのも、なんだか不思議でおかしい。
夢と魔法を売る僕らは、夢と魔法に飲み込まれてはいかんのですよ。
ほんとうはね。
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