凧揚げ

しなくていいんだ。

新年、明けましておめでとうございます。

ということで、昨日の今日なのに、すっかり別世界に来たような気分でいる。年越しって本当に不思議だ。

そんな元日の今日、何を書こうかと思ったが、すでに昨年になってしまった一昨日のことを書きたい。

その日、僕たち夫婦は近所のスーパー銭湯に行った。
そして、大変満喫して、フェイスブックにこんな投稿をした。

年末のスーパー銭湯、素晴らしかった。みんなもう仕事せんでいいし、あとは年越ししかない。子どもに混ざって大人も心ゆくまでダメになっていた。その開放感がなんとも言えない空気をかもし出す。堕落ここに極まれり。人としてはダメかもしれないけれど、天国があるとしたらこんな感じかもしれないと思った。

すると、友人が「年末には抜けてもいい、という許可があるんでしょうね」とコメントをくれた。

そうなのだ。年末には「抜けてもいい」という許可がある。いろんなことをしなくてもいい。

スーパー銭湯にいた大人たちは、畳敷きの部屋に寝転んでお菓子をかじり、まるで『ドラえもん』ののび太のように緩んでいた。その様子は、児童館の子どもたちによく似ていた。

非生産的、無為、無意味。
はたから見て「いいね」と言われる姿ではないだろうし、親御さんなら心配になるかもしれない。日本のGDPも下がるだろうなと思わされる。国際競争力はゼロだ。

でも、それがいいのだ。
この骨抜きにされて、ダメになってる感じが。

それをさせたのが、このスーパー銭湯だった。
おしゃれすぎない、高級すぎない。ごくごく庶民的な場。

実際、いろんなことを考えてしまってなかなか気が休まらない奥さんも、ここでは安心して漫画を読み耽っていた。そして、どんな高級ホテルに行くよりもぴかぴかの笑顔になっていた。

楽観的すぎるかもしれないけれど、人はきっとこんなふうにダメになれたら、その後はちゃんとやっていけるのだと思う。あるいは、もっと過激に考えたら、こんな堕落っぷりでも社会はまわるのかもしれない(どんな社会になるのかは想像もつかないけれど)。

年越しの「抜けてもいい」空気は、毎年、働く大人に安らぐことを許しているのかもしれない。

でも、年越しじゃなくても、いつも上手に許せたらいいのにな。

いまあるこのなんとも言えず平和な感じは、あと数日して社会が動き出すと消えてしまう。

それがちょっと残念な気もするけど、でも年越しにこうしてちゃんと緩むからこそ、これから一年頑張れるのかもしれないね。




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