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空振りしたバットにボールがかする音。

うちの夫婦は、結婚して五年目になる。
僕は勤め人ではないので、結婚することで奥さんという他人を四六時中そばで見守ることになった。こんなに長きにわたり、それも毎日、ある人の人生経験を間近で見られることってまずない。少なくとも僕にとっては、はじめてのことだった。

この稀有な体験を通して気づいたことは、とても多い。そのうちの一つが、奥さん自身は「無駄だった」という過去の行動について、僕は「意味があった」と思うことが多いということ。

どうやら、はたで見ている僕には見える「意味」や「伏線」が、当の本人には見えないらしい。

だから「無駄だった」「意味があった」と食い違う僕らの言動はどちらかが間違っているということではない。どこからみているかの違いだ。

たとえば、バットで空振りしたときに「ちっ」とボールがかする。そのとき、奥さんは「空振りした」事実を捉え、僕は「ちっ」というその音を聴いている。

そして、かする音を聴き続けた僕には。その音の連なりが、奥さん本人の行きたい(生きたい)方向を指し示しているように感じられている。でも、こんなにあからさまなのに、本人には見えていない。そのことも夫婦になってから気が付いた。

本人が「無駄だった」と思う空振りも、ちゃんとなにかにつながっている。
この観察事実は、人の行動に対する信頼を深めた。

かく言う僕自身もいくつもの空振りを「無駄だった」と思っているのだろう。でも、それは観察するとちゃんとある方向に向かっている。他者にそのことを教えてもらうことで、人は自分の道に戻ることができる。盲点をつくりがちな人と人は、ともに生きることでお互いを補い合える。

結婚して夫婦になって、一人ではなく二人に生活の単位が変わって、僕の人生は、以前どんなふうにしていたか思い出せないくらいに違うものになった。きっと「人とかかわる」という基本的なことさえ、結婚していなかったら分からなかっただろうな。

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