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ハルヒを好きだった青葉被告へ

 先日、このような記事を目にしまして。

 2019年7月18日、京都アニメーションの第1スタジオに侵入した青葉真司被告が犯した大量殺人事件の判決が出て、死刑を求刑されました。

 青葉側が控訴したので棄却されない限り裁判はまだ続くかもしれませんが、まあ判決が覆される事はないでしょう。

 アニメが好きで子供の頃からいろんな作品をずっと観ている身として、この事件は非常にショックでした。正直今でも引きずっていますし、青葉被告を許す事はできません。

 しかし今回僕が書きたいのは彼への恨み言ではなく、彼が裁判で証言した内容について。

 彼は裁判中、このような事を語っていたといいます。

被告は平成21年5月ごろに「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメを視聴。「こんなにすごいアニメがあるんだ」と感銘を受けたと明かし、当時依存するほど遊んでいたというインターネットゲームに並ぶほど「面白いものがあることを痛感した」と振り返った。
これを機に被告の「ハルヒ熱」が高まる。10冊ほど出版されていた原作小説を全巻購入し、2日間ほどで読破した。そのうち「自分でも書けないか」と思うようになり、原作小説の文体をまねながら小説を書き始めるようになった。ハルヒと同じジャンルで、京アニのコンクール「京アニ大賞」に応募する自身の長編小説「リアリスティックウェポン」を書き上げたと説明した。

記事より抜粋

 平成21年といいますと、西暦2009年。5月ですからちょうど『涼宮ハルヒの憂鬱』が新エピソードを追加して放送していた時期ですね。


涼宮ハルヒの憂鬱

 青葉被告は子供の頃に両親が離婚し、父親の下で育てられたようですが日常的な虐待を受けていたようです。その後就職するも長続きせず、定職につかずブラブラしていた時にハルヒのアニメに出会ったと。

 で小説家を志すまでは良かったんですが、そこから京アニの女性監督と恋愛関係になるという妄想を始めたり、自身の小説をパクられたという…まあこれまた妄想ですな。そんなものを募らせて凶行に及んだわけですが。

「ツルネ」では、登場人物がスーパーで2割引きのシールが貼られた肉を見つけるシーンがある。青葉被告が京アニに応募した「リアリスティックウエポン」と題する小説には、ヒロインが5割引きの総菜を買いあさる場面があった。この部分だけを捉えて、青葉被告は「盗用」と主張しているとみられる。
 青葉被告は京アニに小説2作品を応募し、17年に落選している。京アニは「自社作品と類似点はない」としている。青葉被告が盗用と主張する3作品のうち、少なくとも「けいおん!」は小説の応募前に公開されていた

記事より抜粋

 青葉被告は、『涼宮ハルヒ』シリーズを読んで小説家を志し、京アニの小説大賞に2作品を送った。しかし落選すると、京アニが自分の作品を盗用したという妄想を膨らませ、凶行に及んだ。

 この一連の流れを見て、僕の思ったんです。

 

こいつ、ハルヒの何を読んでたんだ?


 皆さん、ハルヒシリーズの第1作目『涼宮ハルヒの憂鬱』がどんな作品なのか、考えてみた事ありますか?

 僕も2003年に小説の1作目が発売された頃からのファンでして、当然アニメも全部観ました。

 当時は小説やアニメに触れて日も浅かったですし、知識もなければ考察する頭もないような子供でして。しかしいろんな作品に出会い、考えていくに連れ、いつしかハルヒという作品がどのようなものだったのか自分なりに解釈できるようになったんです。

 主人公・キョンが入学した高校で出会った涼宮ハルヒは「すごい美人がそこにいた」とキョンに言わしめるほどルックスは完璧ですが、入学初日の自己紹介で「ただの人間には興味ありません。ここに宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい。以上」などと言ってしまうようなイタい女。

 普通ならハルヒはただのイタい女として高校生活を終えるところでしたが、そんな彼女の下になんと本物の宇宙人(長門有希)、未来人(朝比奈みくる)、超能力者(古泉)が集まってきてしまう。しかもそれをハルヒは知らないまま過ごすんです(笑)

 ハルヒは大雑把に言ってしまえば世界の命運を握っているような女の子で、監視対象になっていると。この世に非現実的な世界があると知られてはいけないわけですね。3人がどんな存在なのかを知っているのはキョンのみ。

 4人はハルヒが結成したSOS団(世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)というイタすぎる組織に入り、彼女を監視します。監視と言っても部活で遊んだり、日曜日に喫茶店に集まって街で変な事はないか探す遊びみたいな事をするだけなのですが、なんとなく楽しい日常を過ごすわけです。

 しかしひょんな事から世界の均衡が崩れ、ハルヒは無意識に作り出した空間の中に自分とキョンを閉じ込めてしまうと。

 ま、クライマックス前まではこんな展開なんですよ。

 青葉被告がハルヒシリーズのどんなところに惹かれたのかはわかりません。高校生が放課後部室に集まってなんとなく楽しい事をするという、日常系アニメの原型のような展開を観て自分ができなかった青春味を感じたのかもしれません。

 あるいは当時人気キャラであった長門有希に萌えてたのかもしれませんし、SF要素に胸踊らせたのかもわかりません。おそらく知りようがないですし、知りたくもないのですが。

 個人的には、ハルヒの魅力は↓だと思ってるんです。

・物語は非日常の中にだけあるわけではない

 ハルヒは宇宙人、未来人、異世界人、超能力者を探し求めていたわけですが、作品の中で彼女は目の前にあった非現実的要素に気付く事はない。

 しかし彼女は退屈そうにしながらも、結構日常を楽しんでいる。2巻の『涼宮ハルヒの溜息』では映画作りなどをしていますし、草野球したり、パソコン部と対決したり、夏休みの宿題をみんなでしたりと、ハルヒ視点で考えるとマジで日常系アニメみたいな事しかしていない(笑)

『涼宮ハルヒの憂鬱』の最後では、ハルヒはキョンと2人きりで街の変なもの探しをする事になります。ハルヒは劇中では明かされてませんが明らかにキョンに好意を持っていて、みくるや長門が仲良さげにしてると不機嫌になる。普通の女の子なんですよね。

 そう、ハルヒは実は普通の女の子なんですよ。

 ハルヒは、あの作品でハルヒだけは、日常の中でしか物語を進行させていない。異空間の中にキョンと2人で閉じこもった時だけは非現実へと行きますが、そこに留まりたいと願うハルヒをキョンはある行動をする事によって彼女を現実世界へと連れ戻す。

 ハルヒもまた、現実世界へ戻る事を選択するわけです。

 

ハルヒはつまらない日常を選ぶんですよ。


『涼宮ハルヒの憂鬱』という物語は、つまらない現実への肯定でもあるわけです。部室でボードゲームしてるだけでも、街で変なもの探ししてるだけいいんです。裏でどんな非現実的な事があろうとも、つまらない日常が否定されるわけではない。

 ハルヒはキョンと街で変なもの探しするという行為自体に、幸せを見出したわけです。

 この事を青葉被告はわかっていたのかと。彼は途中からありもしない妄想に囚われてしまったといいます。それは青葉被告が、女性関係であったり夢が叶えられなかった事であったり、何か特別な存在になりたいという執着があったのではないかと考えてるんです。

 青葉被告は申し訳ないですけど統合失調症のような病気になってしまっているように見えるわけですが、実際にはわかりません。しかし子供の頃の家庭環境の苦しさから何かに逃れようと思ったその気持ちは理解できます。

 僕も子供の頃に両親が離婚し、父親の下で姉と3人で暮らしまして。父親は僕に日常的に暴力を振るったり、ご飯を食べさせてもらえないなどの虐待も経験しました。

 僕は15歳の頃に読んだ『バトルロワイヤル』と『ハリー・ポッター』シリーズに影響を受け小説家を志し、30歳ぐらいまで作品を賞に送ったりしてましてですね。結構境遇が似てるんです。

 なんで、僕は彼のようには絶対になりませんが(笑)彼のように他責思考で精神が強くなさそうな人間が極限のストレスに晒された時、非現実的なものに救いを求めてしまうというその行動自体は理解できます。

 ただ彼は、小説家を志しながらある事をしなかったわけです。

・物語を分解する

 僕が小説家を目指していた時、恩師の方から「物語を分解しろ」というアドバイスを貰っていました。

 さっきハルヒについて語ったのもそうですが、その小説がどんな内容であるか、なぜこのような話になっているのか、細かく分析する必要があるんですよね。

 小説でもアニメでも映画でも、作品なんて毎年世界中で大量に作られているわけです。言ってしまえば1000年以上前からですよ。

 ガワだけ、一部の文章やシーンだけ見たらそりゃ被ってる部分なんていくらでもありますよ(笑)そんなもん、文章丸々同じとかでない限りパクりであるはずがない。

 そもそも、作品なんてのは常に過去作品の影響を受けているものなんです。青葉被告がハルヒの見様見真似で小説を書いたように、それが普通なんです。

 でも作品を分解すれば、その作品の“本質”的な部分が見えてくる。

 それを見つけていかないと、自分の栄養にできない。人によって解釈は変わってくるかもしれませんが、作品の本質を見つけていれば「俺の◯◯をパクった!」なんて言い出すはずがないんですよ(笑)

 

 それができないでパクリだなんだ騒いだ時点で、彼には小説家としての才能なんかなかったんです。


 彼はただ何者かになりたかっただけなんでしょうね。他責思考で、自分の人生がつまらないものであると感じているから、解釈しようとしない。

 それは物語でもそうですし、日常でもそうです。

 ハルヒは日常の中に幸せを見つけたのに、彼はしなかった。子供時代の家庭環境には同情しますが、その後の人生は自分の責任でしょう。

 僕は、大人になってからも友達を増やし続けました。野球が好きなので観戦仲間と何人も出会い友達になり、ここ数年はX(旧Twitter)を通して何十人もの韓国人の友達を作り、何回も韓国に旅行して遊んでいます。

 自分語りして申し訳ありませんが(笑)僕は青葉被告に対しては明確にマウントを取ります。僕は少なくとも彼と同等か、彼以下の家庭環境で育ちましたよ。小説家になれなかったのは同じですが(笑)でも僕は彼のような惨めな人生は送ってきませんでしたし、これからも送らない自信があります。

 それに一度小説家を志すほどの作品に出会ったんなら、なぜ掘り下げなかったんだと言いたいんですよね。

 最近、凄い映画と出会ったんですが。

PERFECT DAYS

 役所広司さんがカンヌ映画祭で最優秀男優賞を獲得した作品ですね。

 これ本当に凄いんですよ。映画の内容は、役所広司さん演じる初老の男・平山の日常をただただ描いているだけなんです。

 毎日、ちょっとした変化が起こるだけ。いろんな人と出会ったりしますが、突飛な事は何一つ起こらない。

 でも面白いんです。

 平山は劇中、木漏れ日の写真を撮ったり、光や、影の動きを見ています。その光や影が一瞬重なるように、人と交わる。それは身近な人であったり、彼がトイレ清掃員として仕事している公衆トイレで出会う名も知らぬ人々だったり様々です。いろんな人がいて、良い人だけではないのですが、彼は何も言わず人々を穏やかに見つめている。

 本当に、それだけで物語として成立してるんですよ。

 

 まさに、日常の中に物語を見出しているんです。


 この作品、正直10代の頃の僕ではちんぷんかんぷんだったと思います。20代でも無理だったかもしれない。

 子供の頃から物語に触れ、『バトルロワイヤル』『ハリー・ポッターと賢者の石』で小説家を志し、『涼宮ハルヒ』シリーズに出会い、いろんなアニメやドラマに出会い。いい作品もつまらないと感じる作品もいっぱいありました。僕の知識不足で理解が追いつかない作品もありましたし、理解するのを放棄しようとした事だってあった。

 それでもずっといろんな作品を観て、考え、分解しようとしていたら、ある時理解できなかった作品が理解できるようになった。

 なんだか難しいと思ってた作品も、面白く感じるようになった。

 そういうのって、やはり積み重ねだと思うんです。

 作品を観たり考えたりする行為というのは、長い旅路のようなものだと思ってます。最初はエンタメ性だけの作品でいい。僕も最初にハマっていたのはエンタメ作品でしたし、そういうのにハマるのも大事ですから。

 どんな作品でも観ていって感じていけば、長い月日が経った頃になんか凄い作品と出会える。

 そういう行為を、青葉被告はしたのかという話なんですよ。

 結局のところ、作品から何も学ばなかったんでしょう?何か学んでいたら自分の夢を開かせてくれたアニメを作った制作会社に火なんか放ちません。作品を分解する最低限の頭を持っていたら、パクリだなんだという妄執にも囚われなかったでしょう。

 青葉被告、あなたには多分理解できないでしょうが、あなたは何者になれなくても良かったんです。何者になれずとも、解釈次第であなたはあなたの人生の主人公になれたんですよ。大量殺人鬼などという嫌なキャラクターにはならずに。

 ハルヒや平山のように、日常の中にこそ物語を見出すべきだったんです。

 控訴が棄却される事を願っております。反省しろとは言いません。でも僕はあなたに「ざまあみろ」と言いたいです。

 あなたはこれから、ハルヒシリーズの続きを読む事なく処刑されるでしょう。作品を観続けた先に出会えた数々の名作も知らずに死ぬでしょう。あなたがひょっとしたら諦めずに小説を書き続けた先になれたかもしれない小説家という称号も、最早得る事はできないでしょう。

 ハルヒを好きだった青葉被告へ。

 ハルヒを理解できなかった青葉被告へ。

 ざまあみろ。

 以上、私信と復讐を終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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