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Vtuberファン、これまでの炎上騒動でいい加減学びを得ているんじゃないか?という話

 Vtuber界隈というのはかくも炎上騒ぎがなくならんものですなあ。

 楠栞桜さんの騒動から約半年経ちましたが、この半年間でも星川サラさんのタピオカ騒動、金魚坂めいろさんと鳴神裁さんによるいじめ告発騒動、桐生ココさんに対して中国人ユーザーが反転アンチ化してからの一連の騒動などなど、かくも話題の絶えない界隈でございます。

 先日もひと騒動ございまして。漫画家の水龍敬さんという、ホロライブ ・オルタナティブに宝鐘マリンさんの絵師として参加する予定だった方がツイッターでいきなり怒りをぶち撒けましてね。

 もうツイートは消されてしまったようなのですが凄い怒りようでして、「金輪際ホロライブとは関わりません」とかいう内容の発言を連投したんです。

 で、ホロライブ運営のカバー株式会社って正直良い噂がないので、ツイート直後は「またカバーがやらかしたのか」みたいな意見に傾きかけたんですよ。まあ直近でも桐生ココさんがなんとかしてほしいと運営に渡した荒らしリストを何故かモデレーターにしてしまって大変な事になったりとか(笑)去年6月くらいには著作権関係で揉めてたりもしましたし、なんともお股の緩さが際立つ会社なんで最初は僕も水龍さんの発言を鵜呑みにしかけたんですね。

 でもちょっと待てよと。

 と、いうところから今日の本題に入らさせていただきます。今日は「炎上を決定付けるのは何か?」というお話です。

 水龍さんの発言、2月22日の23時頃に出たものなんですが、丸一日経った現在ほとんど擁護されておりません。

 原因としてはまず「金輪際関わらない」という過激な発言をしたわりに肝心の内容について深く触れていなかった事。ツイート直後になぜか中国の配信サイトbilibiliにて説明を行った事。

 そして何より、いい加減Vtuberファンが一方的な意見を鵜呑みにする危険性に気付いたというのもあるでしょうね。

 Vtuberのお気持ち表明、これまで死ぬほどありましたよね(笑)中でも有名なのが一昨年楠栞桜さんの前世、夜桜たまさんが配信内で運営への不満をぶちまけた事件。ライブの開催を巡って運営と対立した旨を告発したわけですが、これでファンは一気に夜桜さん側に付いたというのは皆様知っての通りです。

 更に去年の9月には物申す系Vtuberの鳴神裁さんが「にじさんじでいじめがあった」という旨の動画を発表。鳴神さんはその後永久BANされてしまった為動画を観る事はできませんが、この動画が拡散された事で何があったのかも、Vtuberファンの方ならよく覚えていらっしゃる事でしょう。

 この2つの事件、今なら皆様わかってらっしゃるでしょうが、本来炎上しなくても良い事件だったんですよ。

 まず夜桜たまさんの件ですが、いかに運営といざこざがあったにしても配信で言うべきじゃなかった。ファンには一切関係ない事ですし、言ったところで何ともできない。「我慢の限界だった」という見方もできますが、だからって何千人も見ている前で一方的な主張を言っていい理由にはならんわけです。

 金魚坂めいろさんの件に関しても同じでして、まあ彼女の場合はもっと悪質だったんですが、結局裏で解決すれば良い問題をわざわざ第三者に情報提供し、しかもさも相手側が悪者であるかのように告発した。どちらかが一方的に悪い事なんかないわけで、それを敢えて自分に不都合な情報だけを隠して拡散するという、本当に最悪な事をしてしまったわけですが。

 ただこの2つの事件の時、大方のファンは夜桜側、金魚坂側に付いた。運営や金魚坂さんの場合は相手側の夢月ロアさんを、告発内容を鵜呑みにして悪者認定してしまったわけです。

夜桜たま

 
金魚坂めいろ



 その結果まあいろいろと不幸な事が起きたわけですが、じゃあ扇動されたファンの方が悪いのかと言えば必ずしもそうは言えなくてですね。

 結局僕らってただのファンにしか過ぎないので、裏で何が行われてるかなんて誰かが発表しない限りわからないじゃないですか。だからって鵜呑みにしていいわけではないですが、一見被害者に見える個人と僕らにとって身近な存在ではない運営側が対立してるのがわかった時、自分の頭の中で勝手にストーリーを組み立てがちなんですよ

『サピエンス全史』という本で、なぜ人類が生き残れたかという話が載ってるんですが、端的に言えば僕らが常日頃からしている"妄想"という概念が生まれたかららしいんですね。

 例えば昔はホモ・サピエンスの他にいろんな人類がいたらしいのですが、どの人類も集団行動ができなかった。なぜかといえば家族以外の人間に対して、「こいつらは仲間だ」と感じる能力がなかった。その意識を持てたのがホモ・サピエンスだけだったと。

 その概念の組み立てを可能にしたのが妄想なんですよ。「家族じゃないが寝食を共にしてきたから家族みたいなものだ」とか、「あいつらは敵だ。なぜなら仲間じゃないからだ」とか、そういった本来存在しないものを自分の中で論理立てて結論付ける事で連帯感を生み出せたわけです。

 それが今日までの人類をここまで発展させたという事らしいのですが、世の中良い面もあれば悪い面もある。

 判官贔屓という言葉がありますよね。例えば高校野球で県立高校と強豪の私立が対戦する時、なんでか県立の方を応援したくなる。「強豪の私立」というだけで県外から寄せ集めて作ったチームというように思えてしまい、逆に県立の高校は地元の人間だけで強くなったチームみたいに思えてくる。

 ここなんですよ。

 つまり僕らはか弱い女性Vtuberが被害を訴えた時、無条件で運営を悪者だと思い込んでしまう。女の子が泣きながら配信しているのだから、運営が何かしたに違いない。組織というだけで悪そうだし、運営という存在にはVtuberのようにキャラがないので、凄く冷たいような印象を受けてしまう。

 結果告発者の言うことを鵜呑みにして運営叩き、更には運営を擁護したVtuberやいじめをしたと名指しされたVtuberを自分の中で悪役に仕立て上げ、正義の鉄槌を食らわせてしまう。

 この思い込みこそが集団心理となって暴走を生み、不幸な事態へと発展させてしまうわけであります。

 これVtuberだけでなく何にでも言える事なんですが、例えばいじめ問題とかあるじゃないですか。もちろんいじめはいけませんし擁護するものではないのですが、"いじめ"というのって本来実体のないものなんです。

 どういう事かと言いますと、"いじめ"と"いじり"の境界線って曖昧じゃないですか。例えばクラスで一人の人間を複数の人間が小突いたりプロレス技をかけているのを見て、ある人は「面白そうな事してんなあ」としか思わないかもしれないし、またある人は「やりすぎなんじゃない?」と心配する。

 この時点ではいじめは存在してないんですよ。小突かれてる生徒が何を言ってるわけでもなく、「やりすぎなんじゃない?」もただ思ってるだけなので。

 ならこれがいじめではない、というのもまた違うんですよ。小突かれた生徒がストレスを感じて不登校になる。または「やりすぎなんじゃない?」と感じた生徒が先生に告げ口をして、先生が小突いていた生徒をつるし上げる。これによって初めて"いじめ"が成立するわけです。

 いじめが最初から存在するわけではなく、大勢がその行為を「いじめだ」と認識した結果、そうした行為が"いじめ"だったと結論付けられるんですね。

 先ほど話した「自分の中でストーリーを作る」というのもここで活きてくる。誰かがクラスの中のとある行動を「いじめだ」と告発し、それが広まる。そうする事でその時「面白そうな事やってんな」としか考えてなかった生徒の頭にも「そういや小突かれてた○○君嫌な顔してたな」「小突いてた奴ら笑ってたな」「あいつらは嫌がってた○○君に無理やりプロレス技をかけてたんだ!何て嫌な奴だ!」という風に、真実がどうかはともかく自分の中で被害者と加害者をキャラクター化していくと。

 それが悪い事だとは思わないんですけど、小突いていた側が必ずしも悪意を持ってやってるわけではないケースだってありますし、決して被害者と悪者という対立構造では語れないところもあるわけじゃないですか。ところが僕らはどうしたって単純に物事を見てしまう。

 それがVtuber界隈であったなら夜桜たまさんにしろ金魚坂めいろさんにしろ、一方的な告発通りに受け止めてしまい大変な事になってしまうわけですよ。

 炎上については定期的にnoteに書いてまして、今回は「認識」がテーマですが例えば世の中ファンやアンチよりも圧倒的に無関心層が多くて、その人達は背景を深く調べないのでどうしても最初の発信者に流されがちになってしまったりだとか、身内ネタとしてやっていた事が関係ない人の目に触れて炎上するとか、要因というのは単純には語れないのですが、共通しているのは「大勢の人間が一度認識してしまうと、流れを変えるのは難しい」という事ですかね。

 というのをVtuberファンはこれまで何度も経験して何度も失敗してきたわけですが(笑)最初の話題に戻りますと、水龍さんの件ではそういう流れにはならなかった。

 これまでであれば水龍さんが言った事を僕らが鵜呑みにし、カバー株式会社を炎上させる…という流れになったはずが、逆に「内容に触れていないのはおかしい」「bilibiliでのみ説明してるのはおかしい」という、まあこれも一種の流れではあるのですが一歩踏み留まって告発者の発言を鵜呑みにするのをやめた事はやめたわけです。

 これってやっぱ経験から得た学びだと思うんですよね。まあ今回の場合告発者がエロ漫画家の中年男性だったからかもしれませんし、美少女Vtuberが泣きながら被害者面してたらやはりコロッと騙されていたのかもしれませんが(笑)とはいえ中立に物事を考えようという動きになったのは大きいのではないかと思うんです。

 人は失敗を繰り返す生き物ですし、未来永劫解決する問題ではないのですが、一人一人が問題について考えそれぞれを結論を出すのは可能ですし、そうして1つの答えを簡単に出さずに議論していけば無駄な不幸が増えるのを防ぐぐらいの事はできるのではないかと、そう思う次第です。

 今日はここらで終わらせていただきます。まあおそらく炎上騒ぎはなくなりませんが、Vtuberがいくら可愛いからって発言まで鵜呑みにせず、また物申す系の人がいくら断定口調で一方を悪者と決めつけても素直には信じず、煽りカスの扇動に流される事もなく、そして「自分の推測は本当に正しいのか?」と自分自身にも疑念を持ちつつ生きていきましょう。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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