INFJらしい思考回路

こんにちは。ゴトー日はばたばた忙しかったので外伝です。

先日友人と会って話した時にもトークテーマに上がったのだけれども、その友人に私は器が大きいと言われるんです。
理由は単純にあまり人に怒ったりしないからなんですけど、怒るってそういえばそんなにしてないなと最近の自分を改めて感じつつ、それ以外にも他者から失礼な事をされてもすぐに関係性を切らないところがすごいと言われたんですね。

結構過去に色々と失礼だなと思うことはされたりはしているんですが、だからってすぐに付き合いを考えるという事をするわけではなくて、まあ仮に何かしらの失礼な言動を私にしてきた場合はこの人”そういう人”なんだな、という認知になった上でその人と付き合っていくだけだから、失礼な事をされっぱなしにされているわけではないんですよね。少なくとも私の中ではそうっていう話で。
とは言え、確かにああこの人とはもう関わらない方がいいなと決定的な判断が下される瞬間、というものは自分の事ながらにあまりはっきりとわからないものだと思い考えてはいるんですが、これと言った回答に辿り着かないんですよね。

正義に対峙するものは悪ではなく別の正義であるから、私と違う意見を持っている人と一緒に歩み続けることは出来ないにしてもそういうものがあると理解は出来るので、否定をする事はしない(と思っている)。
だから私に酷い事だったり失礼な事をしてきたとしても、その人なりの正義の元そういう選択をしたのであれば、この人はそういう判断がこの場(乃至私に対して)には適切なんだと思った結果なのかなと考えると、受け入れられるかどうかは別として批難するのもまた変な話だなと。

何も考えないで無意識にやった事であっても、それをした先だったりその行動を取った理由が過去に存在していて、そこを考えたら例えば理解できない行動を取られたとしても頭ごなしに否定する事は出来ないし、だからこそ何故その行動を取ったかを本人に尋ねるしかないんですよね。
そうなった場合「わからない」「知らない」と考えを伝えてもらえなければ、相互理解は当然無理だし仮に相互理解が出来ないにしても私としては理由が分かれば気持ちの落とし所が出来ると思っているので、話してもらえればまだどうにでもなると考えるのだけど、何故それをしたのか?と相手に尋ねる事・尋ねられる事がイコールで不快な事だったり怒られる事だと思っている相手だと、物事の解決がスムーズには進まないんですよね。

そんでまあこういう事を考えているから私はINFJっぽいんだなと実感したりとか、だからこそあまり理解されにくいんだろうなとかそういう事を考えて結局「何故私は怒ったりしないのか」の答えからどんどん遠ざかっていき、だいぶそのルートから外れた先でふと何故私は怒ったりしないんだろう?とまた疑問に思って戻ってくるんでしょうね。変な生き物だなあ。

ではまた。

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