20221211

昨日から始まったスプラトゥーン3のビッグランがすごい楽しくて、仕事放ってずっとやってしまっていた自分がいたんですけど最近何を楽しいと思っているんだろうかと色々と人生について考えを馳せていたので、そんな中で久しぶりに時間を忘れて楽しめるものに触れられたのが嬉しかったり、まだそれを楽しめる自分がいる事に驚きだったりとそんな今日です。

そしてここ最近自分の中で大発見だった事があって、人と話してて同じベクトルに近い感じで話せない人って個人的にあまり楽しくないなと思ってはいたんですが。
こちらから会話を振った際の返しの一言目が「わかんない」と返された時、私はものすごいストレスを感じるというのに気付いたんです。

じゃあなんでそれをストレスに感じるのか少々掘り下げて考えてみた結果、会話を続ける気がないと判断してしまうからなんだなと。
というのも、例えば何かの事柄について知ってるかどうかを尋ねた時にそれを知っているか知ってないか、のみの返事であっても別に何とも思わないんですよ。
知ってるなら知ってる上での会話を進められますし、知らないならそれを説明した上で会話を進めるだけなので。
ただ分からない、というのは質問されたことに対して知ってるか知らないかではなく、考えたりしないという事であってそれは会話をする上で話を終わらせるものに近いのではないかと感じたんです。

人との会話ってたくさんの種類があるとは思うのですが、基本的に受け取るだけというのはないでしょうし投げられたら返すことによって会話が成り立つと思うんです。なので例え出された話題が分からないものであっても、それを汲み取る努力というのは必要なんじゃないのかなと。
その努力は片方だけがするものではないから、分からないという言葉だけで返されるとそれを無駄な努力と言われているような気がしてしまうんですね。
せめて一言くらい「わかんない、○○なんじゃないの」のように分からないなりに自分の考えを述べて欲しいというのが、私の考える会話の努力なのかなと思いました。

よく「知らんけど」っていう言葉を語尾につけたら程々に責任からも逃げられる…みたいな風潮ありますけど、正直それでもいいので”あなた”と話しているので”あなた”の考えをどんな些細なものでもいいから伝えてくれないと、”あなた”じゃなくていいって思ってしまうのが悲しいんですよね。
逆説的に相手は私じゃなくていいからそういう態度をとっているのであれば、それならそれで受け入れやすいんですけどねえ…

そんな発見をした今週の記事でした。

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