ふわふわと母への想い

こんにちは、ゴトー日。25日の更新です。

気温があまり上がらなくなったと思ったら暖かい日が続いて、かと思えば胃最高気温が10度も下がって防寒対策も忙しないですね。
ちょっと前までは夏用のかけ布団にひんやりマットを敷いたまま寝ていたのですが、もう流石に冷えてきたなと思うついでにどうせお布団を厚手にするならそのタイミングでベッドカバーも洗いたいなと考えていたため、お天気に恵まれなかったので延ばし延ばしになりその状態をキープせざるを得ない状況で、でもそれじゃあ日が沈んでから寒い時もあるからと毛布出したりとちぐはぐな生活をしておりました。
今はもうこんもりと冬仕様の寝具に前回ちょっと話題に出したこたんぽ、ソファーには年中置いてあるブランケットにプラスして大きめの毛布と電気毛布が追加されて、けばけばしい空間が出来上がりました。
…けばけばしいという表現が適しているかと問われたら間違っているのはわかっているのですが、もうもこもこしたものの集まりに体を潜り込ませるのであればけばけばしたものに包まれているんだもの。仕方ないですね。

私の保護者と呼ばれる人は母しかいなかったために、基本的に兄と二人で過ごしている時間が多く、思春期はそれなりに喧嘩もしましたけれども基本的には二人しかいない兄妹というのもあって仲はいい方だと思います。
だいぶ大人と言われる年齢になりましたけれども、年齢を重ねたおかげもあってか揉める事は流石にないに等しい状態になりましたし、あまりコミュニケーションを取るのが得意ではない兄と上手に兄をいなせない母のかすがい役として存在してるのもあり、まあ…まるで問題がないとは言わないまでもそれなりには仲良くやれている家族間です。
そんな背景があり育ってきた私は、今となれば物事を深く考え込んでしまう性質だったり人と一緒にいるとずっと自分がアンテナを張っている状況になってしまう事により磨耗してしまうタイプだというのもあってか、一人でいるのはとても快適であり自分らしくいれるものだと知ってはいるものの。

幼き頃は母が大好きで、働きに出ていってしまう母の背中を寂しく見送り、帰ってきても疲れて寝てしまっている母に寄り添っている事が多く、愛情は与えてもらえてたと思うけれども淋しくなかった時間は少なかった。
少しふくよかだった母のふにふにの肌だったり、私も同じふにゃふにゃの猫っ毛の短い母の髪の毛を触っているのがとても好きで、いつもぺたぺた触っては母の存在を確認して感じて安心しているのが当たり前だったので、いない時間はふわふわとしたものに包まれていないとどこか不安だったのかなと当時を思ったりします。
勿論今も母のことは大好きですし、帰省して母に会った時はもう本当にいい大人だというのに四六時中母にべったりしていますし、お買い物で一緒に歩く時だって抱きついてしまいますし。端から見ればなんなんだと見苦しいぞと思われても仕方ないくらいにはりついていますけれども、離れて暮らしているからこそ触れる距離にいて、生身の母を直接感じれるその瞬間を普段感じる事が出来ないために、ここぞとばかりに味わっているわけなんですね。

と、するならば私がもこもこしているものに包まれているのが好きなのは、今も変わらず母のことが大好きで恋しいという意味合いもあるのかもしれませんね。
いやまあ単純にふわふわ・さらさら・もこもこしたものは触り心地がいいから好きっていうのもありますが!

ではまた次回お会いしましょう。

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