誰か。
人はひとりでは生きていけない。
よく周りの人たちから言われる言葉。
そんなこと分かってるよ。ひとりでも案外生きていけるよ。
という相反する考えを、さいきんはよく考える。
ひとりでごはんを食べたり、買い物したり、勉強したり、旅行に行ったり。
わたしにはひとりでできることはたくさんある。
生活をする、生きてるなかで、ひとりでできることは案外たくさんある。
そのひとりでできると生きていくという言葉は違うものだとさいきん感じるようになった。
ひとりでできることが増えていくことが、生きていけるというものにはならない。
この前、ひとりで旅行に行ったときひとりでできると思ってたことができなかった。
それは自分のことを大きく見すぎていたんだと思う。
それに何かあったら誰かに話したい。そう思うことが増えた。
でも、誰かが誰なのか。
誰に話したいのかわからなかった。
あの子でもない、あの人でもない、お母さんでもお父さんでもない。
思い出すのは大好きな人たちばかりなのにみんな違った。
その誰かは分からないまま。
ひとりって楽は楽。
楽だけど、楽しいのつぎはさみしいが残ってる。
さみしいが共有できる人が誰かなのかもしれない。
誰か、さみしさを共有するのは、何者なのか。
友達なのか、家族なのか、恋人なのか、名詞的な名前はない人なのか。
今日もわたし、ひとりの中だけで終わる。
いつか、誰かに会いたい。
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