自己満に生きる女。

先日、知人と食事をした。相手側に人生の節目があったので、お祝いも兼ねて、なんてお互い軽く言ったりしたけど、実際は普段どおりの普通の食事。

ではあったが、やはりお祝いなので、焼き肉などではなく少しおしゃれなイタリアンにして、メッセージプレートも用意してみた。当人はそんなこと全く思ってなかったみたいで、何度もびっくりした、というくらいにはびっくりしていた。喜んでもいた…と思う。

ここで実は…というのもおかしいが、私は結構サプライズだったり、人にプレゼントするのが好きです。そりゃもう本気だした時にはこれでもか、というくらいその人の好みを調べるし、普段は面倒くさがりでも、この際ははりきって手の込んだことするし、手に入りにくいものも頑張って入手する。もちろん相手に喜んでほしいという思いからであるが、それは相手のためというより、自分のためだと思っている。サプライズを考えたり、プレゼントを選んだりする過程も含めて、相手が喜ぶところを想像したり、喜んでほしいのは、それを見て自分が嬉しい、自分が満足感を得たいという動機があるからだ。人のためなんていう高尚で高潔で純白無垢のものではなく、誤解を恐れずに言えば、「自己満」のためなのだ。あくまでも私の場合ですが。

ところで私は平井堅さんがとても好きです。どれくらい好きかというと、人生で2枚目買ったCDがPOP STARだったし、高校時代のカラオケの持ち歌でもあった。「POP STAR」や「君の好きなとこ」のようなかわいい曲もキュンキュンするし、「瞳を閉じて」や「いとしき日々よ」みたいなしっとりした曲も好き。社会人になってからはライブにも行っていて、特にクリスマスの時期の「Ken’s Bar」は楽しみの1つでした。

2年前、つまり2018年のクリスマスイブも、私はKen’s Barに行った。好きと言っても私は全曲を知っているわけではないし、カバーもやっていたりする。その日も1曲目は初めて聞く曲だった。もちろん知らない曲を知れるのも嬉しいが、やはり好きな曲を生で聞きたいと思うのが人情ってもの。だからずっとPOP STARや君の好きなとこを歌わないかなぁって期待していた。けど、その弾き語りで始まった1曲目を聞いて、もはやその後何歌ったか今となっては覚えてないほど、衝撃を受けたのだ。

その時聞いたのは「かわいそうだよね」というタイトルの曲だった。後にJUJUさんに提供した曲だと知るが、それはキラキラしたポップスでもなく、切ないラブソングでもなかった。とにかく歌詞が衝撃だった。というより、聞いていて動揺せずにいられなかった。当時の自分は仕事がなかなか思うようにいかず、自分なりにもがいていた、そして理想を追い求めていた、つもりでいた。けれどもその歌詞によってビンタされて、目が覚めた気分だった。いや、ビンタというより正拳突きかしら。それもみぞおちに入った正拳突き。自分が何にもがいているのか、何を追い求めていたのか、一瞬にしてわからなくなったのだ。その正拳突きによるダメージが残ったままライブは終わり、家に帰った。

そしてそのままインフルエンザにかかった。クリスマスの日に一人で高熱に悶え苦しむ中、私はJUJUさん(と吉田羊さん)が歌う「かわいそうだよね」のMVをひたすら見ていた。見れば見るほど自分のこれまでの価値観を疑うようになり、追い求めてきたものが虚像のように思えた。目指していた理想なんてどこにもないのではないか。人のため、会社のため、社会のため、信念のためにやってきたと思っていることはただの自己満だったのではないか…。なぜ自分をそれほど追い込んだかはわからないが、仕事含めそれまでの人生になかなか絶望した。人って簡単に絶望するんだなと思う。友だちにはインフルエンザで弱っているからだと言われたが、本人はそれなりに動揺していた。とにかくその曲は私に大きなダメージを与えたのだ。

けど、今ではむしろこの曲に勇気をもらうようになった。あのときに価値観を揺さぶられたので、新しい考えを持った。全ては「自己満足」のためでもいいのではないか。仕事するのも、遊ぶのも、人と付き合うのも。自己満足のために仕事で成果出せたら嬉しいし、自己満足のために誰かを喜ばせたらもっと嬉しい。自己満足のために世界をよりよいものにできたらもっともっと嬉しい。そんなことを思いながらたまにダメージを軽く受けながらも「かわいそうだよね」を聞く。

あの時の感情にタイトルをつけるなら、「希望の前の絶望」としておきたい。

#言葉の企画 #言葉の企画2020

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