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【華秘メシ裏大奥】大江戸怪談~徳川家光編~

このお話は、【華秘メシ裏大奥】の番外編、
徳川家光目線のお話になります。

「大江戸怪談~徳川家光編~」
1、

それは蒸し暑い8月の午後のこと。
私は脇息にひじをつき、ダラダラしながら信綱の話を聞いていた。

「……というわけなのでございます、上様」

「へー、なるほどねえ。それは困ったねえ」

松平信綱という男は、頭はいいのだが、いつでも何でも重々しくていけない。
なので、こいつがどんなに重々しく説明してきても、軽々しく返事をすることにしている。

「上様、私の話を本当に聞いていらっしゃいましたか?」

「聞いてた、聞いてた」

私は隣で団扇をあおいでくれている、可愛い可愛い妹に顔を向けた。

「ねえ、香也、お菓子」

「はい、お兄様」

香也がお盆に落雁を置いて差し出してくれる。
しかし、私は首を振った。

「そうじゃなくて、食べさせて」

「はい、お兄様」

妹は優しく頷き、落雁を口の中に入れてくれる。

「んー、美味しい。あと、お茶」

「はい、お兄様」

口元にお湯呑みがあてがわれ、落雁が吸収した水分を補うべくお茶を飲む。
はー、美味美味。
どんなに蒸し暑くて不快な夏でも、可愛い妹が優しくしてくれるなら、極楽気分だ。
死なずに昇天できました。
お母様、おじい様、そして仏様、ありがとう。

「香也姫!」

「は、はい!」

突然、信綱に大きな声で名前を呼ばれた妹が、正座したまま飛び跳ねる(比喩表現)。

「香也姫は上様を甘やかしすぎです!」

信綱~、なんでこういう余計なことを言うかな~。

「でも、お兄様は激務でお疲れですから」

そうそう、さすがは私の妹。よく分かってる。

「だからと言って、お茶くらいは自分で飲ませるべきでしょう」

いやいや、お茶だけじゃ私は満足しないよ?

「香也、膝枕して?」

「はい、お兄様」

「上様! 言ってるそばから~~!!」

「別にいいでしょ? 香也は私の妹なんだから、いっぱい甘えても」

私は妹の膝に頭を置き、ごろりと寝そべった。

「稲葉!」

「はい」

信綱は後ろに控えていた正勝を睨みつける。
まあ、こういう時、信綱のイライラはたいてい正勝に行くんだよね。

「稲葉、おふたりは昔からこんな感じなのか?」

「いえ、前よりは上様が自立していらっしゃると思います」

「これでか!?」

そう、これでも私はかなり大人の振る舞いをしているつもり。


「もういっしょの布団で寝てないし、いっしょにお風呂も入らないし、
香也とはだいぶよそよそしい関係になってしまったと思うけどね」

「上様のよそよそしいの定義はおかしいと思います」

「あのさあ、信綱。私はこう見えても、精一杯、
 大奥のしきたりに従ってるんだよ?」

「そうでしょうか?」

「でさ、信綱、私は市井の面白い話をしてくれと頼んだんだよ?
 なのに、どうしてお前の叔母の夫の部下の旗本の渋柿が
 嫁に離縁したいと言われた話なんて聞かなきゃならないの?」

「渋柿ではなく、柿谷です」

「どっちでもいいよ。もっと面白い話ないの?
 たとえば、関取の金極道と北ノ里が男同士で付き合ってるとかさあ」

「自分としては怪談をお話したつもりでしたが」

信綱は真顔で首をかしげる。
どうやら、これがこの男の「面白い話」の限界なのだろう。
すると、妹が優しく口添えをした。

「お兄様、私は怖い話だと思いました」
 だって、奥様の枕元に女の幽霊が毎晩のように出て、
 出ていけ、と言うんですよね?」

正勝も深く頷く。

「自分も聞いていて背筋が寒くなりましたよ」

いやいや、こんな話に比べたら、まだ下女たちの井戸端会議のほうが
百倍、いや千倍面白いでしょ。

「でも、それが理由で離縁というのは旗本の名前に
 瑕がつくのでよろしくないかと」

その正勝の言葉に、突然、信綱が膝を打つ。

「そこだ!」

「どこだ」

「上様、いちいち揚げ足をとらないでください。
 幽霊が枕元に立つから妻に離縁を頼まれるなんて、
 外聞が悪いでしょう。
 つい1年ほど前に子どもが生まれたばかりなんですよ?」

まあ、確かに旗本としては不名誉だ。

「それで、その枕元に立つ幽霊だけど、なんか思い当たる節があるの?」

「上様、やっと乗ってきてくださいましたね」

「いや、あまりに退屈だから話を広げてやってるんだよ」

「目撃した女中の話によると、幽霊は柿谷の前妻とそっくりだそうです」

「へー、前の細君は亡くなってるんだ?」

「ええ。嫁いできて三月ほど経ったころ、柿谷が江戸城に詰めていた間、
 出かけた芝居小屋で火事に巻き込まれたんです。
 だから、出てきた幽霊の顔が焼けただれていたとか」

「え~焼けただれていたなら、前妻に似てる幽霊かどうか分からないでしょ」

「でも、上様、後妻の枕元に立つといえば前妻が定番ですよ。
 自分をないがしろにして、
 すぐ嫁をとった夫を恨んでのことでしょう」

「えー? 嫁いで三月なんでしょ? 
 旗本なら親が家の都合で決めた結婚だろうし、
 それで恨むかなあ?」

それに、そもそも死因と夫の間に相関がない。
夫の留守を幸いと自分が羽を伸ばして遊んでいたら、
そこで事故にあったわけで、むしろ外聞が悪くて困ったのは、
柿谷家のほうだろう。
恨む筋ではない。

「柿谷も同じことを言っておりました。
 前妻とはあまり接する時間もないままの不幸だったので
 正直、恨んで化けて出る……なんてことが腑に落ちないそうです。
 でも、毎晩、夢枕に立つそうですから、後妻はずいぶん憔悴してしまい、
 最近では離縁したいの一点張りだそうです」

やっぱり退屈な話だ。
しかし、人一倍怖がりな妹にとっては違うらしい。

「お兄様、やっぱりずいぶん怖い話ですわ」

「私は眠くなってきた」

あくびをして目を閉じると、信綱が慌てて膝を進めて近づいてきた。

「上様、寝ないでください。
 実はこの件で知恵を授けてほしいと叔母からせっつかれて、
 私は困っているのです。
 確かにこのままいくと、柿谷の家は相当に揉めます。
 そうなると、叔母の夫君も困ったことになるでしょう」

「なるほど、だから知恵伊豆の力を借りたいと
 お前のところへ厄介事を持ち込んだわけだ」

「知恵伊豆などと困ります。
 そもそも、私の知恵は政や戦場ではそこそこ発揮されますが、
 正直、恋愛や夫婦ごとなどではサッパリなんですから」

「だろうね」

「お、お兄様、失礼ですよ」

失礼だけど、事実だもん。

「ですが、上様ならば、何か知識がおありなのではないですか?
 どうしたら、幽霊を追い払えるでしょうか」

「追い払うねえ。
 で、渋柿はその幽霊をとやらを見たことがあるの?」

「ないそうです。
 妻の身の回りの世話をしている女中と、その妻本人だけです」
 妻も遭遇したのは夢の中だそうなので、
 実際に会ったのは女中だけですかね」

「じゃあ、話が早い。その女中のことをよく調べるといいよ」

「? どうしてですか?」

「いいから調べてみろ。
 そして、突然金回りが良くなっていたら、
 その金の出所について詮議しろ」

「は、かしこまりました」

信綱は頭を深く下げ、急いで退室していった。


2、

「……どうしてふたり揃って、ついてきますかね……」

信綱はあきらかに迷惑そうに私と妹を見やる。

「だって、私は天下の将軍だよ?
 こうして市井の生活を見て回ることは重要だと思うんだよね」

「その通りですわ、お兄様」

「分かってくれる? この兄の民を思う気持ちを」

「分かります。お兄様ほど民を愛し、
 国をために尽くしている為政者はおりません」

「それに渋柿が離縁されたかどうか、ちゃんと確かめないといけないしね」

あの幽霊話を聞いてから数日後──
信綱が例の旗本の家へ行くと聞き、
私は妹を連れて、おしのびで無理やりついてきたのだった。

「だったら、江戸城で報告だけ聞けばいいじゃないですか」

「それじゃあ、ところてんが食べられない」

「やっぱり、それか!」

信綱は心底迷惑そうにため息をつく。
ホント、ところてんくらいでおおげさな男だよ。

「でも、江戸のところてんは京とは違うと聞いております」

妹が必死に言い募る。
妹は京から移って来たばかりだから、江戸の風俗が珍しくて仕方ないのだ。

「信綱、姫は江戸の文化に興味しんしんなんだよ。
 ところてんくらい、食べさせてあげてもいいと
 思わなくなくなくなーい?」

「そんなもののために、天下の将軍とその妹がお忍びで市中に来るなど」

「いいじゃん、こうやって身分を隠して忍んでるんだからさ。
 それに、どうせみんな、私や香也の顔なんて
 見たことないから知らないよ」

「知らなくても注目されるんですよ、ふたりは」

「え~なんで?」

「見た目が目立つんですよ! 
 いるだけで目立つんです!」

妹が不安そうに自分の着物を見る。

「町娘に変装してきたつもりなんですけど、
 どこか間違っていますでしょうか」

「うーん、変装自体はカンペキなんだけど、
 香也は可愛すぎるからね。
 ほら、この布で顔を隠しなさい」

私は妹の頭の上に手拭いをかけた。
妹くらい美しかったら、花魁か何かと間違えられる可能性がある。

「お兄様、暑いです」

今日は猛暑日で、歩いているだけでも汗が噴き出すような天気だ。

「ダメダメ。お前の美貌に目をつけて、悪いこと考えるヤツが絶対いるから」

「分かりました、お兄様がそうおっしゃるなら」

「よし、イイコ、イイコ」

妹の頭をよしよしと撫でる。
この子は昔から頭を撫でられるのが好きなのだ。

「上様もやっていただけないでしょうか?」

突然、信綱が気持ちの悪い発言をしてきた。

「え? お前にイイコイイコするの?
 それはちょっと……」

「違います! 上様も顔を隠してほしいんですよ!
 その、いるだけで目立ちまくる顔を!」

「ヤダ、暑い」

「く~~~~~~~!!」

「まあまあ、そんなに怒ると、また髪の毛が抜けるよ」

「また、って何ですか? 薄毛になんかなってません。
 ですが、もし、私が薄毛になったら、
 それは全て上様のせいです」

「まあまあ、信綱殿、自分もこうして護衛についておりますから、
 少し大目に見てください」

そうそう、正勝、いい動き。
さすがは私の幼馴染。

「稲葉、お前も上様と香也姫に甘すぎる」

そう言って、信綱は再び深いため息をついたのだった──


3、

信綱が柿谷家へ仔細を聞きに行っている間、
妹と正勝と私は、近頃評判になっている甘味処へと来ていた。

「ドキドキします。江戸のところてんとは、どんな味がするのでしょう」

妹の可愛らしい問いに正勝が笑顔で答える。

「まあ、それは食べてのお楽しみです」

「ところてんというのは、触らなくても突かれるだけで……」

「上様、男色ネタはご遠慮ください」

私は世間知らずの妹に常識を教えているだけなのに、
ひどい言われようだ。
そんな話をしていると、私たちの席にところてんが入った器が運ばれてきた。

「お兄様、なんだか香りが」

「さ、食べてごらんよ」

妹はおそるおそる箸でつまみあげて口に入れる。すると──

「すっぱい!」

「うふふふ、驚いたねえ」

妹の様子がたまらなく可愛くて、思わず頭を抱いて髪を撫でてしまう。

「これ、酢醤油なんですね……ところてんが甘くないなんて」

「ははは。京や大阪では黒蜜で食べるけれど、こっちは酢醤油なんだよ。
 江戸は職人や駕籠かきなど力仕事をする男が多いから、
 どちらかというと、さっぱりする味のほうが好まれるんじゃないかな。
 もし、食べられないなら、他のものを頼もうか?」

「いえ、驚きましたけど、確かに夏はこのほうがサッパリしているかもです」

「そう? じゃ、それぞれ一杯ずつ食べようか」

こうして、私たちはそれぞれ酢醤油のところてんをたいらげた。

「はあ、お兄様、とても美味しかったです」

「子どものころは食べさせてもらえなかったからね、ところてんは。
 これから、香也は食べてみたいもの、やってみたいものがあったら、
 なんでも言うんだよ? お前の兄は将軍だからね。
 たいていの望みはかなえてあげることができると思うよ」

「お兄様、私はお兄様とずっといっしょにいることが望みです」

「うんうん、そうだね。私もお前とずっといっしょにいたいよ」

「だったら、俺もずっとおふたりのそばにいたいです」

すかさず正勝が入って来る。

「うん。正勝も死ぬまで仕えておくれね」

「はい」

「……そんな一生の誓いを甘味処でしないでください」

すると、信綱が苦い顔で店に入って来た。

「おや、おかえり、信綱。どうだった?」

「はい。私が柿谷家へ行った時にはちょうど
 女中の詮議が終わったところでした。
 上様がにらんだ通り、女中は出入りの僧侶から金を貰って
 いもしない幽霊を見たと作り話をしたそうです」

「やっぱりね。後妻はその女中にいろいろ吹き込まれているうちに
 夢の中で会ったこともない幽霊の幻に
 悩まされるようになったんだろうな」

「けれど、お兄様、どうして、そんなことことをしたのでしょう?」

妹が不思議そうに首をかしげる。

「おおかた、その後妻を追い出したい縁者でもいたのだろうね。
 幽霊なんて怖かない。
 本当に怖いのは、生きている人間だよ。
 悪魔でも思いつかないようなことをする。
 ところで、その柿谷という旗本は今、いくつだい?」

信綱は汗を拭いながら答えた。

「さすが上様。ご慧眼です。
 柿谷はまだ二十三、この界隈では有名な美男子として
 知らない者はいないそうです」

「じゃあ、懸想している若後家が後妻の後妻に入りたくて、
 坊主に金を渡したのかもね。
 たいした罪じゃないが、それなり罰が必要だろう」

「今度は僧侶を詮議して、全部吐かせてやります。
 本当にありがとうございました。
 しかし、あれだけの短い話で、真相を言い当ててしまうとは
 上様は興味が無いようでいて、
 私の話をしっかり聞いておられたのですね。
 頭が下がります」

「ふふふ。ところで、信綱、私へのご褒美だけど
 その柿谷という旗本を呼んでくれない? 
 美男子なのだろう?」

「それはなりませんよ!
 これ以上、男色の相手を増やさないでください!」

ちぇっ。
それじゃあ、事件を解決した意味がないなあ──

大江戸怪談 ~徳川家光編~END


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