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二十一年生きた。あと何年生きられるだろうか。

2022/07/17
今日は僕の誕生日だ。
いや、下書きするだけして投稿を忘れていたからもう昨日の話だな。

昨日で20歳も終わり、今日から21歳が始まる。

ありきたりな話だけれども、
若かりし頃の誕生日を迎える度のワクワクは、
10代の後半辺りから消え去っていってしまった。

ここ最近は、自分が生まれて、これまで生きてこられたことに対する感謝の念に想いを巡らせるようになった。

生きていると、楽しいことばかりではない。
辛いこと、めんどくさいこと、うんざりすることの連続である。
一時期はもう生きてなんていたくないと思うこともあった。

今も毎日のように嫌なことは起きるし、嫌な思いもする。きっと僕も誰かの嫌なことの原因になっているだろう。
でも、死にたいなんてことは考えなくなった。

生きていると、楽しいことばかりではない。
けれども楽しいことはたしかに存在する。

当たり前のように流れていく日常に、当たり前のように存在する人との繋がり。
それらが生まれた奇跡のような偶然の積み重なりを思い返すと胸が躍る。
それだけのことで、案外幸せを感じることはできてしまう。


21年生きてきた。
思い返せばあっという間と言いたいところだが、
ぶっちゃけこの21年間のうち、覚えていることなんてそう多くはない。
頑張って長くまとめても、体感時間は7日程度ではないだろうか。

ある種、あっという間と言えるかな。


日本の成人男性の平均寿命は80歳くらいだった気がする。
平均的に生きて行けば、残りの人生は60年程度だ。

果てしなく長いようであり、
21年生きてきても何もまともに成し遂げていない自分にとっては、あまりにも短い期間なのかもしれない。

もしかすると、明日の朝、目が覚めないかもしれないし、横断歩道を渡るときに車に轢かれてしまうかもしれない。

そのときに、「あぁ、あんなこと言うんじゃなかった。」だとか、「もっと話をしておけば良かった」だとか、そんなことを思い出したくはないから誠実に生きようと思う。

「せっかく取っておいたプリンまだ食べてないのに…」くらいの後悔でちょうどいい。

死ぬときにする後悔はくだらないことだけにしておきたい。

悔いのない人生というのはそういうものではないだろうか。
これまでは少ししか体験してこなかった、永遠の別れも増えていくだろう

親しき人との別れは辛い。

想像もしたくない。

大人に近づくに連れて、訳の分からない書類が増えて、よく分からないお金を払わなきゃいけなくなる。
そうしないと社会では生きていられないみたいだ。

そうやって少しずつ心配ごと面倒ごとが増えていくことが大人になるってことなのかもしれない。

若々しくいるというのはどういうことなのだろう。

きっと、この境界線を生きる今は、この一年は、悩み悩まされる一年となるのだろう。

これからの人生の礎となるように、しっかりと向き合って生きていきたいと思う。

二宮龍之輔 ver.21.0をよろしくお願いします。

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