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よく、生きる人

「よく生きる」というキーワードをもとにイメージする人物像というと、どこか憧れを抱いている人物であるように捉えがちだが、私はそうではないと解釈した。
私が憧れる人物をあげてしまうと、それは自分の中だけでの価値観に過ぎず、ロゴス的に、本質的に捉えた時のそれとは異なるからである。

それらを踏まえた上で私は、「よく生きる人」というのは、世界で最も貧しい人であると考えている。
これには最もらしい言い訳などはなく、私が本質を思い描いたときにそうであると感じたからそう述べたまでのことである。

前提として私は、人間は生きている限り孤独へと進み、幸せを理想とする生き物であると思っている。
理想というのは、現状の自分が向かっているものと対極に在るものであり、きっと手に入れることができるようなものではない。

そういった点で言えば、私たちがこの世界に生き、何かしらの行動をする究極の理由というのは幸せを手にしたいからであり、そういった理想があるということは、私たちが現状孤独や悲壮などへと向かい続けていることの証明になるのではないだろうか。

ここでなぜ、「世界で最も貧しい人」というイメージを持ち出したかというと、「貧しい」という状態は金銭的に立場が弱いだとかそういったことではなく、より何かを欲している状態であると捉えたからだ。

私たちは、欲しい服を欲しいと思うことで貧しさを実感する。
私たちは、憧れの人をイメージすることで自分の貧しさを実感する。

自分の欲に忠実になればなるほど、より自分の自己意識に「貧しい」という感情が押し寄せてくるのである。
「貧しさ」を最も自己認識として解釈する人こそが、「世界で最も貧しい人」なのである。

ロゴス的によく生きるというのは、人間が本来持つ「欲」に忠実に従い、人間の本質に忠実に生きることだと感じたことから、私は「世界で最も貧しい人」こそが、ロゴス的な生をよく生きる人であると感じた。


2年後期に大学のレポートで書いたやつです。
テーマはたしか「よく生きる人」とは何か、的な感じでした。

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