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彼と私たちの「羽生結弦」

Yuzuru Hanyu  Skate Canada 2016 Photo by Ninny

何度も考えた。
そして今も、考えている。
どうして、こんなにまで「羽生結弦」に惹かれるのか。
性別も、世代も、国境をも軽々と超えて、
こんなに多くの人々に愛される存在を他に知らない。
才能、実績、人格、そして、その姿の美しさ。
彼を讃える言葉なら、数え切れないほど聞いてきた。
それも、多くの違った言語で。

アスリートの世界では、強さは何よりの魅力だ。
絶対王者が一番の人気を集めることに何ら不思議はない。
強者の圧倒的な力に、人は感服し、憧れる。
私にとってもそれは「羽生結弦」の大きな魅力のひとつだった。

しかし、記号としての敗戦が続いても、想いは変わらなかった。
力が衰えたなど、微塵も思わなかった。
それどころか、より進化し、より強くなっていく過程を
心躍らせながら楽しんでいた。
「今が一番上手い」という本人の言葉に、深く頷きながら。

今もなお、「羽生結弦」は勝ち続ける絶対王者だ。
世界中から届く賞賛の声、増え続けるファンの数がその証。
勝敗をジャッジする場は、もう変わった。
この「勝ち」は点数では表せない。
私たちそれぞれの胸に、深く刻まれるもの。
彼の演技を見れば、嬉しくて、楽しくて、切なくてーー。
言い表せない感情が押し寄せてきて、涙があふれてしまう。
この感動を芸術だと言うこともできる。
でもすべてを一言で表すとしたら、
それは「羽生結弦」なのだ。

私にとって「羽生結弦」という存在は、
「こうありたい自分」でもあった。

理不尽な目にあっても、努力が報われないことがあっても、
そのたびに立ち上がり、前を向き、新たな壁に挑んでいく。
不貞腐れることも、不満を叫ぶこともなく、
つねに他に感謝し、讃え、礼を尽くす。

自分はーー。
もちろん、そんなことなど叶うはずもなく、
「こうありたい自分」との乖離に、自己嫌悪の人生(進行形)。
だからこそ、彼の言葉や態度は私を満足させた。
私は「羽生結弦」というカタルシスを手に入れたのだ。

その一方で「羽生結弦」という生き方は
どれほどの苦難を伴うのかと、慄いた。
こうありたいと願いながら、逃げ出すであろう自分に気づいていた。

だから、無理をしないでほしい。好きなように生きてほしい。
私たちが勝手に押し付けた「羽生結弦」を演じないでほしい。
矛盾した感情が胸を掻き乱す。


「羽生結弦であることはずっと重荷だったけれど、
その名前に恥じないように生きてきた。
これからも「羽生結弦」として生きていきたいーー」

会見で語った言葉に初めて救われた気がした。
彼は可哀想なんかじゃない。
彼は「羽生結弦」という生き方を自ら選んだ。
その名前を通して、本当の自分でありたいと願っている。
無理をしているわけでも、偽りでもなく、
そう生きることが、彼らしさの証明なんだろう。

彼に魅了されている人の数だけ
「羽生結弦」が存在していると感じる。
あなたが応援している彼と、私が惹かれている彼は
すべてが同じではないかもしれない。けれど、
それぞれの心の中にいる「羽生結弦」は、
望む通りの言葉を紡ぎ、行動をするだろう。

そう、
私たちの「羽生結弦」は裏切らない。
彼の「羽生結弦」が彼を裏切らないように。


「羽生結弦」という生き方ーー。
これまでも、これからも彼が見せてくれる生き方に
嘘はないと信じられる今が幸せだ。

心から、新たな門出に祝福を。













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