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「支えられて立っていました」

昔、大好きな友人にもらった手紙を久しぶりに読んだ。

その人は私にとってすごく大事な人で、2年間くらい毎週のように会っていろんな話をした。
くだらないことでたくさん遊んで、真面目な話もたくさんした。
コミュニケーション力が高くて明るくて器用に見えるけど、
実は人一倍周りに気を遣って疲れてしまう人だった。

そんな友人のことを放って置けなくて、私はかなり世話を焼いてしまったと思う。
お仕事の手伝いをしたり、風邪をひけば差し入れを持って行って、他の人に怒られた時は慰めに行き、話もたくさんきいた。できることならなんでもしてあげたかったし、元気に笑ってそこにいてくれるならなんでも良かった。
どんなことよりもその子との予定を優先してたから、結果的に他の人を蔑ろにしてしまったことも多々。
反省はしたけど後悔はしてなかった。それくらい最優先にしていた。

今考えると、ちょっとやりすぎだなと思う。けど、別に何か見返りが欲しかったわけではなく、ただただ一緒にいたかったし、一緒にいるからには自分がその人に何かをしてあげないといけない、というよくわからない使命感を素直にもっていた。

で、見返りは別に欲しかったわけではないと書いたけど、
でも自分がやっていたことは正しかったのか、その人にとって良いことだったのか、それは最後までずっとわからなかった。
自分がやれることは全部やったけど、それが必要だったとも限らないし、もしかしたら相手の成長を妨げてたのかもしれない。
そう言う意味で自分の行動に対して自信がなかった。

読み返した手紙は、その友人と会わなくなってから1年後にもらったもので。
たまたま私がいるところを知ったその友人がサプライズで会いに来て、手紙を渡してくれた。なんと3枚綴り。
一生懸命書いてくれたことがわかる手紙だった。

中身は、私のこれからを応援しているということと、これまでの私がしてきたことを感謝している、という内容だった。
もらった時何回も読み返したから内容ほとんど覚えてるのに、
今でも毎回とっても嬉しくなる。
ちなみにタイトルにつけたのは、その手紙の中の言葉。

私がやってきたことや気持ちは相手にそのまま伝わっていて、
そのまま受け止めてくれていたと言うことがわかって。
間違っていなかったと言うことがわかって。
それだけで、私はその友人の近くにいて良かったんだなと思える。

結局私は自分がどれだけその人にとって価値のある人間になれるか、っていう尺度で動いているけど
役に立ててるかどうか、いつも自信がない。
だから手紙でこうして伝えてくれたのは素直に嬉しいし、あの2年間に対して持っていたちょっとのもやもやが、この3枚で全部晴れた。

感謝されなくてもそれでいいとは思いつつ、やっぱりありがとうって言ってもらえると嬉しいし
それだけで自分に意味があるように感じる。

だから本当は私こそありがとうって言いたいんだけど。いつか伝えられるといいな。

ここ最近ちょっと気持ちが沈むことがあってどうにもダメだったけど、その手紙を読んだらまた頑張ろうって思えた。
そんな日でした。


ではまた。

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