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自分軸とは

連続投稿できてうれしいハンナです。

昨日ピアニストのお友達とお茶して気づいたことが会ったので忘れないうちに書いておこうと思いました。

そのお友達はスピリチュアルに興味がないわけではないけれど、わたしみたいにあちこち情報を探して取り入れてみたり、自分に当てはめて考えてみたりするタイプではありません。でも彼の生き方は無意識レベルでスピリチュアルのエッセンスを活用しているのです。わたしはそこにとても興味を持ちました。

というのもその一日前に別の方から連絡があり、彼女のお友達と一緒に御飯をというお話を頂いたんです。彼女がいうには、そのお友達はスピリチュアルの世界に関してとても博識でお勉強熱心なので、きっと話が合うと思うということでした。その気持とってもありがたいです。

そしてその方のお名前を聞いてとても驚きました。その方はどちらかというと人間関係のトラブルと関連してお名前をよく聞く方でした。ここで私の心に浮かんだ疑問は2つ。一つはスピリチュアルになるということは人間関係がスムーズになることではないのか?もう一つはこのご提案にどう答えるのか?でした。

1つ目の疑問は、本当に目からウロコでした。スピリチュアルに関する知識を深めるというとは平和に豊かに暮らしていくことだと思っていました。でもどうやら、たとえ同じ本を読んでいても、同じセミナーに行っても、同じYou Tubeの動画を見てもスピリチュアルって人によって定義が違う!と言うのは明らかなようです。では、そこで得た知識を実生活に落とし込む人と、知識として思考の世界で扱う人はどう違うのでしょう?新たな疑問が生まれました。

2つ目の疑問は、私の心が試させる問題でした。正直なところその方とご飯が食べたいかどうかと考えると、あまり気が乗りません。理由は評判が偏っているからです。でも、それはわたしが直接経験して出した判断ではありません。人として正しい方法と考えると、きっと会ってみて自分で判断するのがいいのだろうと思いました。でも、私の気持ちはどうかな?と自分の感情にフォーカスしてみると、その方からわたしが受け取る印象はわたしとは合わないの一言に尽きる気がしました。

少し考えて、自分の直感を信じて「スピリチュアルの考え方がわたしとは合わないと思う」と正直にそのままお伝えしました。どう思われるだろうととっても怖かったです。でも自分の気持をはっきりと伝えてみました。

そして昨日ピアニストのお友達と話しているうちに、昨日の疑問の答えが出てきたのです。それは「自分軸」でした。ピアニストという仕事柄、自己の表現というのは彼にとってとても大切で、自分の核の部分なのだというのはわかります。でもだからこそ、他人と比べてしまう場面も多いのではないかと想像もできました。彼は、確かに技術や表現が素晴らしい人はたくさんいる、だけど、自分が表現できるものは誰かと取って変えることは決してできない、それを他人の評価でいいとか悪いとか言われることはあるけれど、その評価と自分の表現は全く別に存在するのだと教えてくれました。ガツーンと頭をぶん殴られました!格好良すぎる。

そしてその誰にも侵害されない「自分」の部分こそがスピリチュアルに生きることなんだと痛感させられました。知識を経験に落とし込む、その繰り返しが自分を生きること。まだまだブレブレだけど、はっきりと断れた自分を褒めてあげたい。そしてこれから毎日の小さな選択のたびに友人の言葉がわたしの心に光を照らしてくれると確信しています。

最後のまとめがいまいちだけど、日記的忘備録なので今日はこのへんで。良い一日を。

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