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人生の配役

大好きな義母が昨日亡くなりました。
結婚してから20年間、本当の娘のようにかわいがってくれました。

娘が新生児の頃、母乳がでず、ミルクを飲んでもすぐ吐いてしまい、そしてすぐにお腹が空いてなく。そんな繰り返しを24時間続ける状況をみかねて、家にいらっしゃいと引き受けてくれた義母。

眠りが深くて夜は絶対目が覚めない夫の代わりに、夜中にそっと娘にミルクを飲ませ、おむつを変えて、私を休ませようとしてくれた義母。

本当にたくさんの愛を受け取りました。

病院で最後のお別れをしたとき、今までの感謝を伝え、
そして次に生まれて来たときは、また絶対に出会いたい
義母のためなら何でもするから…

と伝えたあと、ふっとあることが心をよぎりました。


「私は彼女のために来世で悪役ができるだろうか」


私という人間が形作られるために必要だった出来事には、
ポジティブなものもあるけれど、
ネガティブな出来事もありました。


親との関係だったり、仲間はずれにされたり、
職場で理不尽な目にあったり
嫌な人間というのが登場しました。


こういうネガティブな経験は
心のなかでひっそりとしこりになっているけれど、
その出来事があったからこそ、今の自分になれた、
こう変われた、そのおかげでこの人に出会えた
そういう人生の転換期となっていることも多いもの



わたしは、彼女のために、彼女が人生を切り開いていく
転換期を迎えるために、一生恨まれるような悪役を演じきれるでしょうか?


誰だって、あなたと出会って人生が良くなりましたって言われたい
でも生まれる前に人生の青写真を決め、
それぞれの配役を決めるとき、
わかった、じゃああなたのために、あなたに厳しく当たる母親役をやってあげる。だってそれがあなたには重要だし、それを乗り越えることが今回の大切なチャレンジだから。
と、覚悟をもって引き受けることができるでしょうか?


そう思ったとき、今まですごく嫌だった人生の登場人物が、
もしかしたら前世からのご縁が深く、大いなる愛でその役を引き受けてくれていたとしたら…
という発想の転換がみぞおちのあたりで爆発しました。


こう考えると、嫌いな人に対してポジティブに考えようとか、感謝しようとかいう無駄なあがきがすっと消え、
心から感謝が湧いてきて泣きそうになりました。


そして同時に過去に傷つけてしまった人に対しても
もちろん、申し訳ないごめんなさいという
気持ちはあるけれど、
それと同時に、わたしは、私達が決めた配役を全うしたのかもしれないという自分への許しが起こりました。


人生は出会いの繰り返し、
出会う人や、出会うタイミングは
なにか大きな力で導かれている
そしてそれは神様が気まぐれに決めているのではなく
共に学び、共に成長しているたくさんの仲間と
厳密にシナリオを練り上げ、力を合わせて
作り上げてきた壮大なストーリー
そう思うと出会う一人ひとりが愛おしく
感謝せずにはいられない大切な登場人物なのだと感じました


お義母さん
最後まで、わたしに大切なことを教えてくれてありがとう。
できれば悪役はしたくない
でも、どうしても必要だったら
ちょっとだけ手を貸してあげるね


また次に会う日まで
少しの間、さようなら






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