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ヘドウィグ観劇からアイドルのことを考えてしまった4563文字の日記

こちらは2022年2月26日にふせったーにて公開した、ドラァグクイーン「ヘドウィグ」とアイドル「まるちゃん」の話です。



ヘドウィグ観劇からアイドルのことを考えてしまった4563文字の日記
「あれはまるちゃんじゃない」


とりあえず自分なりに整理してみたかったのでつらつらと書きました。

私はただの関ジャニ∞が好きな一般人なので
以下の文章にはなんの考察も含まれません。

もう一度言いますが、ほんとに考察ではありません。

『ブロードウェイミュージカル ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観劇して、の派生メモです。

というより、オタクの激重ポエム(イテテ〜)くらいに思っていただいた方がいいと思います。


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いろいろ思うところがあったけど、長くなりそうなのとあくまでメモなので敬語は端折る。

でも先にひとつだけ余談。

私は事務所以外が主催の舞台現場でツアーグッズを使ったり、ちびぬいの写真を撮ったりしない。

それはマナーがどうのこうのと騒ぎ立てる話ではなくて、勝手なポリシーとして。 なぜか私も、今日はお芝居を見にきたんだ!と気合いを入れるような、そんな感覚から。

その日だけはあえて推しをアイドルだと意識しないように、自己満足のためにそうしている。

余談おわり、いきなり本題。


開演時間になって、思っていたよりもすんなり?自然な感じでバンドメンバーとイツハクが現れた。

映画よりもイツハクはチャーミングな印象で、客を盛り上げたあとヘドウィグを呼び込む。

イツハクが言う“ビッチ”は出てこない。
異変を察知し、舞台中央に立てられたピンクの壁の向こうへ走り込んでいった、
どうやらそこにいるらしい。

やがて壁が倒れ、そこにうずくまるブロンドの後ろ姿
直接的な理由は結局分からなかったけど、出るのを渋っていたヘドウィグはイツハクに説得されゆっくり立ち上がる。

そして、その動きとは裏腹に颯爽と振り返った。
優雅にマントを広げステップを踏み、マイクを握って“Don't you know me?”と客を煽る。

その瞬間に涙が出た。



オタクならお馴染みのことだけど、まるちゃんは毎日12時にブログを更新する。

食べたご飯のこと、お風呂のこと、天気のこと、メンバーのこと、
何気ない話もあれば、なにか概念的な詩のようなものやその時々の感情を込めた文章も書く。

関ジャニ∞としての活動をこなしながら、10年以上365日ずっと。

2021年11月にツアーが始まってもそれは変わらなかったけど、内容はすこし変わった気がした。

今日はダメだった。
今日は少し進化した。

ボイトレを始めてから、そしておそらくミュージカルの稽古が始まってからは特に、歌の練習の話が多くなった。

彼がヘドウィグになるための準備が大変であることはひしひしと伝わった。

頻繁に報告をくれるまるちゃんに、ブログの読者はみんな 成功してほしい、と願っていたと思う。
私も微力ながら毎日無事でありますようにと祈った。


だけど、そんな心配のようなものは、
ピンクの壁を破って出てきた、デニム地の衣装を身にまとうその人のステップを見た瞬間、響き渡る“Tear Me Down”を聴いた瞬間、どこかへ吹き飛んでしまった。


ヘドウィグの前で性別を語るのはナンセンスかもしれない。

でも頭の先からつま先まで、
彼の中に通う神経が「あたしは女よ」とでも言うみたいに“女性”を感じた。

あれはまるちゃんじゃない
ヘドウィグがそこにいる

私はアイドルではなく、紛れもないドラァグクイーンを見に来たんだ。


すでに複数公演を終えていたので
ヘドヘッドの方々がまるちゃんのヘドウィグを褒めてくださっていることも知っていた。

これがその実物だ
やっと会えた、と思った。

例えるなら初めてミッキーに会ったとき
初めて友達の子どもを抱かせてもらったとき
初めて仲良くしてもらっているフォロワーに会えたとき

まさにそんな感じ

たしか、記者の前に初めてヘドウィグとして現れた取材写真を見た時にも「好きな人が心血注いだものが世に放たれている」と感じた。

彼の試行錯誤の日々はこの舞台で大きく報われるんだと、それが嬉しくて誇らしくて涙が出た。

涙で滲ませた眼球がこのまま渇き切ってもいいから、ヘドウィグの姿を目に焼き付けようと決めた。



物語は、ヘドウィグが自分の半生をライブMCとして語ることで進む。

隣のスタジアムにはトミー・ノーシスがいる。

ヘドウィグは「トミーが知ってることは全部あたしが教えたの!」と
嫉妬かもしれない、誇りかもしれない思いを叫び

時に客をいじり、バンドメンバーをいじり
楽しそうに歌を歌う。

MC中のアドリブや即興で言い回しを変える瞬発力に
元々の人格みたいなものを感じるところもあり、

身振り手振りと幅の広い歌声で伝える歌詞
時折魅せるキュートでセクシーな姿

すべての物事にずっと変わらず感動こそしていたものの
その時まではアイドルのまるちゃんではなく、ドラァグクイーンのヘドウィグを楽しんだ。



その時、というのは
あるセリフを聞いたとき。


「笑うのは、笑わないと泣いちゃうからよ」

それを聞いて、私は呆然としてしまって、
というかその場にいた丸山担全員の、心の紐がキュッと引っ張られたんじゃないか?というような感じがした。


笑わないと、泣く?

物語の中で決めゼリフのように言われる訳でもない、キーワードでもない、なんなら「壁」とか下ネタとかの方が耳にする頻度は高かったはずなのに。

ずっしりお腹の上あたりにこの言葉がのしかかったまま、ヘドウィグは語り、物語は進み続ける。


ちょっと待って

ちがう、分かってる
あれはまるちゃんじゃない

まるちゃんの言葉じゃない
ヘドウィグの“セリフ”だ


そう言い聞かせても、どうしても彼の人生を重ねてしまう。

彼と会話したこともなければ、顔も名前も知られてない
ライブに行っては彼の姿を双眼鏡で追い、彼の一挙一動に喜ぶだけの、ただのオタクなのに



ただ、オタクだからこそ知っていることもあると思う。


まるちゃんは昔、ダンスが覚えられず、なぜ自分だけできないのかと頭を叩きながら自責していたらしい。

それをメンバーが見て、そのうちの1人、村上くんが彼を叱った。叱ると言うよりは、話を聞いたんだと思う。

まるちゃんはそんな村上くんに対し、ヘラヘラと笑っていた。
「なんでヘラヘラすんねん!」と村上くんは怒った。

するとまるちゃんは
「小さい頃から、怒られると人に気を遣ってどうしたらいいかわからなくてヘラヘラしてまうねん」と答えた。

泣くはずのところで彼は笑った。


また、関ジャニ∞には“My Story”という曲がある。

この曲は関ジャニ∞の末っ子、ライブ演出のプロデュースを務める若頭、メンバーでありながら関ジャニ∞オタクの大倉くんが作詞したもので、メンバー全員のことが書かれているというのは、またオタクには知られた話。

そして、この歌詞をあげる。

「いつも楽しい君もほんとは悲しいんだね」
「その空気が嫌いでおちゃらけてるのをみんな知ってるよ」

誰が誰だと明言はされていないけど
初めて聴いたときから、確実にこのパートはまるちゃんのことを表してるんだね、と思った。

そう感じた人は少なくないはずと信じている。



これは、オタクだから分かること

泣くと相手に気を遣わせてしまう
彼はそう考える人だ。

ヘドウィグが、トミーとの再会が悲劇によって明るみとなり苦しさを叫ぶも、その場の空気を察知して「ごめんなさいね」と話を変えたように、

反対の行動を取ったヘドウィグに、私は全部まるちゃんを重ねてしまった。


さらにもう1つ、印象的だったのは
カタワレだと思って結婚したルーサーに裏切られて放ったセリフ、

「泣いたわ、泣かないと笑っちゃうから」

さっきとは対極のヘドウィグのこのセリフを
“泣くことで、その人の存在やそばにいた時間が、大切だったと信じようとした” んだと私は思っている。


2021年末はまるちゃんの泣く姿をたくさん見た。

私の見てきた短い時間の中でも 今までほとんど涙を流さない人だったし、
彼自身も「人としてなにかが欠けているから、僕はみんなが泣く映画を見ても泣けない」というような話をしていたので、初めは驚いた。

でもライブMCや番組内で流した涙に、ほっとした。

あなたの感情は、決して欠けていない。
そしてそれを見せることは迷惑でも邪魔でもない。

真実はわからないけど、
彼の涙の要因にはいつも誰かがいると感じていたから。

コロナ禍でライブができないかもしれない不安
離れることになってしまったメンバーとのこと
過去のことを思い出して感じた申し訳なさ

誰かのために泣いている
誰か


「僕のカタワレはファンです」


そっか、
雑誌やパンフレットの取材文で何度この言葉を見たことか

丸山担として珍しいかもしれないけど
私はまるちゃんがファンのことを「妻」と呼ぶことが不思議だった。

いつもおこがましいような気恥ずかしいような、なんとなく彼のどこかしらに紐をくくりつけているような謎の気持ちになってしまうので、自らをそう名乗ったことはない。たぶんこれからも一生ない。

それでも、彼のマインドを否定することはない。


私の語彙力ではとても表せないので、トップオブ関ジャニ∞オタクの言葉をお借りすると

「丸って、気遣いの人だから色んな方面へのスイッチを持ってる」
「気遣いでもあり、マウントでもあり、大きな要素としては愛だと思う」

彼なりの気遣いで、愛で、
私みたいな人がいても
心の中で泣いていたとしても
いつもそっと微笑んでいてくれる。

そんな気がするからだ。


不安でもやさしさでも理由はなんだっていい、ただそうやって誰かを思い涙を流す人を“なにかが欠けている”とは思えなかった。



舞台の上でヘドウィグが叫ぶ。

「あたしにはこれしかないの」
「あたしを正面から愛してよ」

誰だって、取り繕わない姿を愛してもらえたらどんなに嬉しいか
ウィッグもメイクも必要なく、5インチを失わずとも愛が貰えたら
ヘドウィグは心からの感情をそのまま見せられるだろうか

他人に気に入られる自分を演じないで、
自分を愛せるだろうか

Wig in a Boxを聴きながら、そんなことを考える。



12時のブログでまるちゃんが言う。

「自己犠牲の愛はオススメしない」

身を削り、愛を配った結果、彼はどうだったのか
本人がそんなつもりはないと言ったって、
こんな言葉が出るのは経験者だからじゃないのか


ヘドウィグが教えてくれた、愛は永遠じゃない。

人は有限で、いつなにが無くなってしまうかわからない。

先ほどの私の謎の気持ちに名前をつけるとしたら、
その有限の時間の中で、アイドルとしてなにかを削りながら見せてもらっていることに覚えた罪悪感のようなものだと思う。

もちろんそれは人それぞれ違う。
あくまで私個人の話。


ただ、トミーの言う「善と悪」の知識があるなら
彼が身を削り、配り、傷ついて自らを省みる限り、
自分になにができるだろうとまた考える。



そしてヘドウィグは続ける。

「愛は不滅」
「とにかく生み出すことよ」

アイドルが生産者なら
どこまでいっても私は消費者でしかない。

だから彼が、できるだけ気持ちよくなにかを渡したいと思える相手でありたい。

今、出せる結論はたぶんこれだけだ。





「でも一方で、ヘドウィグはそんなこと気にも留めんやろ、という気もするんですよ。もっと超越しているというか。そんなことを考えていたら、自分の中で芽を出そうとしているヘドウィグが『バカね。グルグル考えて、可愛い』と笑ったんです。」


引用元


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