最近なんか生きづらいよねと思う1~労働者が働く、生きる意味~

最近なんか生きづらいと思うことが多い。
もちろんそれは経済的な問題もあるけど、もっと面倒な部分だ。
そもそも、なんで生きる必要があるのかよくわからない。
いや、これは自殺願望とかじゃなくて、生きるということが無味乾燥というか、作業のように思えてしまう。
その原因はいろいろある。例えば労働。
労働は誰かの役に立つ作業でなければならない。でも、働いていて感謝されることは意外と少ない。むしろ労働に嫌なイメージが付きまとう。
日本の会社のイメージでよくあるのは上司に怒られたり、取引先にぐちぐち言われるイメージ。実際のところは会社や職場によるだろうけど、日本の労働者のエンゲージメントは世界でも最底辺といわれている。
生きるのが面倒に思えるのは人生が長くなったのも関係あると思う。
日本は女性に関しては世界1くらいの長寿国だ。
でも、長く生きたところでどうするんだろう、そう思う。
年金を60歳じゃなくて65歳まで払わないといけなくなるらしい(わたしは年金というのがそもそも好きじゃない)。
言い換えると、それだけ働く期間が長くなるということだ。
日本の労働者が働くのが好きで、従業員の満足度が高い国ならそれでいいかもしれない。働くことが幸せにつながるのならそれが1番だ。
実際には日本では高齢者は幸せそうだ。その理由は彼らは面倒な労働という苦行からリタイアしているからだろう。逆に現役世代は大変そうだ。働いて、通勤時間がかかり、子どもができたら子育てしないといけないし、子どものために残業しないと……。
単純に幸福のことだけ考えるなら、長生きに意味はないのかもしれない。
でも、長生きすればリタイアして幸せになれる。だから、とにかく苦行の現役時代だけはなんとか頑張って、老後は楽したい。
わたしに父親がまさにそんな感じの人間なんだけど、幸せなのかはわからない。
日本人の約3割は高齢者になった。それは幸せなことだろう。なぜなら高齢者になれば労働の苦役から解放されるから。
でも、そのしわ寄せはすべて現役世代に向かう。
べつに世代間対立をあおりたいわけじゃない。みな生まれて労働者を経て、高齢者になるのだから。年金を払うものと受け取るものがいるのだから最後は釣り合う。
それでも、増えていく高齢者の負担を重く押し付けられるババを引く世代が出てくる。現役世代で頑張ったのに高齢者になってから梯子を外される。
でも、わたしはそういう話がしたいわけじゃないんだ。
わたしはただ、生きる目標みたいなのが高齢者になって労働からリタイアすることになる、それがむなしいと言いたいだけだ。
労働からの解放は本当に大事な目標何だろうか? 仕事がなくてはつまらないんじゃないか?
生涯現役。楽しく働ければいいと思う。ただし、1日8時間労働ではなく、自分の働いていて楽しいと思える程度の労働時間で。
長すぎるんだよ、労働時間も人生も。
ほどほどに働いてほどほどに稼いで、ほどほどに生きていく。それがわたしの目指す共産主義だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?