腐敗する権力3つの特徴

権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。
だったかな?
まあ、これは長い期間で見ると間違っていないけれど、大事な視点が抜けている。
まるで権力が悪いものみたいじゃないか!
これは悪質な印象操作だと思うよ。
だって、権力って楽しいもの!
権力がないとできないことはたくさんある。革命だってそうだ。革命も権力がないとできないし、腐りきった自民党や上級国民どもを制裁するのにも権力が必要だよね?
権力は腐敗することもある。それは認めよう。でも、わたしたちの生きる世界ではなにもしなくても食料品は腐ってしまう。
だから、長期権力が腐敗するというのは、はっきりいうと食べ物を常温で長い間放置したら腐りました、人間は1000年以内に死ぬ、みたいな当たり前のことを言っているに過ぎない。
それをあたかも、権力を持つこと、権力を集中させることが悪いように見せかける。
三権分立、選挙による代議員制度、国民投票。
まあ、国民投票だけは独裁者のための制度だから残してもいいけれどね(笑)。
 
要するに権力に限らず、長いものは腐るというだけの話。それをいかに権力が悪いものであるか、それを手放させようとするか、そういうこざかしい計略を上級国民どもは仕掛けているわけだ。
騙されちゃいけない。権力は握ったもの勝ちだ。
わたしは権力が欲しい。絶対的権力が。
 
・ほどよい権力と過度な権力
権力が堕落する理由は3つあるとわたしは考えている。
1、目的を見失う
2、見栄のために権力を使う
3、権力が必要より大きすぎる
 
まず1つめの目的を見失うは長期政権にありがちだ。
最初こそは明確な目標を掲げたものの、途中で目標がなんだかわからなくなり、とりあえず今握っている権力を手放さないようにしようと権力を守るために権力を用いるようになる。これがおそらく権力をずっと持たせているのが危険といわれる原因だ。第二次安倍政権の堕落(あの男は最初から地獄に近い場所にいて、地獄に落ちたけれども)なんかがわかりやすいね。憲法改正を掲げながら、そこから逃げて権力維持に走り腐敗した。
明確な目標があり、目標を達成するために適切なだけの権力が得られるかぎり、権力が腐敗することはない。なぜなら、目的と権力という手段が一致しているからだ。
目的と権力の幸福な結婚関係。これが続く限り権力は腐敗しない。
けど、目的がわからなくなると権力は暴走を始める。暴れまわるヘビのようなもので、止めようとすると噛まれる危険があって危ない。
ただ、この場合は腐敗ではない。権力の暴走が起こる。


2つめは見栄のために権力を使うだ。これは大帝国でもありがちだが、大規模な公共事業や領土拡大のために戦争を繰り返す絶対的権力者にありがちなパターンだ。あとは愛人に貢いで国を傾けるとか、無駄に豪華な家や像を立てるのもあるあるだ。こちらはダメ人間のパターンも含む。
ただ、国の発展のためにインフラや資源が必要なこともあるので、うまくいっているうちはあまり誰も咎めない。だが、戦争に負け始めたり、無駄な公共事業が財政の足を引っ張るようになると叩かれる。
政治は結果責任。これはつまり、失敗したのが前任者でも、失敗が明らかになったときの人間が結果の責任を取らされるという意味だけど、尻拭いは誰だってやりたくない。
いい結果が出ているうちは叩かれず、失敗すると叩かれる。絶対的権力を持つ人間は妬まれやすいので特に叩かれやすい。本当に嫉妬って困るよね。
当時は無駄遣いといわれたけど、あとで評価されることもある。愛人に貢ぐのはまあ……どうしようもない。
実はここまでは絶対的権力だからとか、権力を長く握ることの弊害ではあるけど、腐敗する原因ではない。


3つめ、権力が必要より大きすぎる。これこそ権力が腐敗する本当の原因なんだけど、意外と気づく人が少ない。
意外なことに都知事はあまり腐敗で辞任しない。それは都知事の権力が大したことないからだ。都知事は三流ポストで、実質なにもやることはない。官僚の言うことになんとなく従っていればいい。利権をため込むほどもうからないのかもしれない(だから作家が兼業したりする)。
しかし、権力が集中する総理大臣はそうはいかない。総理大臣には解散権をはじめ、予算を作成したり、様々な法案を作成、提出することができる。国務大臣の上司でもあり、政府全体を動かすことができる。
だが、それだけの権力を持つ総理大臣がやりたいこと、やるべき政策が何もなかったらどうなるだろうか? そう、腐敗するのだ。あるいは無意味な権力闘争をやりたがる。
岸田を見ろ!
総理大臣が大きな権力を獲得して最初にやることはなにか? 自分に逆らったものの処分、粛清することだ。これはいかなる政権であっても当然やらないといけない。だって、ムカつくし、やり返したいから(間違えた。政敵がいると身動きがとれないので)。
ここまでは別に問題ない。勝てば官軍負ければ賊軍。賊軍に配慮する必要なんてない。革命でつぶれた自民党に一切の情け容赦など必要ない。
問題はこの後だ。もしここで特にやりたいことがないとなると、とりあえず権力があるわけだからなにもしないともったいない。そこで権力を使うわけだが、まあどうでもいい無駄遣いをしたり、私腹を肥やすために使うのがよくあるパターンだ。
明確な目標があって、国をよくするためにこういう政策をするべきだという信念がある限り、権力は簡単には腐敗しない。本業が忙しくて腐敗に手が回らないからだ。ただ、そのやりたいことというのがちっぽけなものだと余分な権力は私腹を肥やすために使われてしまう。
権力はそれを必要とするだけ与えられるべきだ、というのがわたしの考えだ。
ローマ帝国には執政官があった。これはかなり強力な権力があるポストだが期間が定められていて、任期が終わると権力を放棄するものだった。
例えば戦争の時に、自由だ、民主主義だ、マイノリティの権利だと言っていたら国がまとまらず、勝つためにやるべきことができなくなる。だから権力の集中、独裁が必要になる。
でも、平時に独裁権力はいらない。やることがないから国民のやることなすことにいちいち口をはさんでくる(わたしの母親みたいだ)。

だけど、一度絶対的権力を握ると、それを手放したくないのが人情というもの。せっかく絶対的権力と結婚したのに、戦争が、有事が終わったから離婚しろだなんて!
この薄情者! わたしとは遊びだったってわけね。ほかの女がいいからって、最低ね!
そう不満を漏らしたくなる権力者の気持ちは痛いほどわかる。
独裁権力を維持するためには常にその権力が必要である理由を示す必要がある。
次は具体的な事例を見てみよう。

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