『共産主義革命論』第6章

第6章 共産主義における労働能力と必要の考え方


第5章では共産主義=贈与経済体制であることを説明しましたが、ではなぜ共産主義で労働しなければならないのか、労働する意味とは何かをこの章で考えていきたいと思います。

・共産主義における労働とは何か?


共産主義における労働とは、第一に社会活動であり、自分の能力を発揮するチャンスと考えます。
社会を維持するための社会的な活動として労働を見る時、類義語に子作りがあります。子作りとは、第一に夫婦間の活動であり、社会を維持、拡大するための家族的な活動である、と定義することができます。
労働も子作りも社会を維持するための活動であるという点では共通していますが、違う部分もあります。社会を維持するための活動が行われるのが家庭内なのか、広く公共領域なのかです。
ここでは労働について論じていきます。

・労働欲


労働するためには、労働するための能力と意欲が必要であることは明らかです。
労働をはじめるには意欲が必要であり、そして、労働するためには能力が必要です。
よく、社会主義が失敗した理由として、社会主義だと働いてもみんな得られるものが同じだから労働意欲が低下してしまうという考え方がありました。これが正しいかは断定できませんが、はっきりしていることは、労働意欲がなくなると人は労働しなくなるか、あるいは労働の際に手を抜くようになるということです。
社会主義、共産主義を維持するにあたってどのようにして労働の意欲を維持するかが重要な問題です。
では、労働の意欲はどこから生じているのでしょう? 以下、労働の意欲のことを労働欲と呼称することにします。
労働欲は、簡単に言うと生活するために、あるいは稼いだお金でほしいものがあるから生じると考えられます。だから、働かなくても生活に困らないなら働かなくなるだろうという意見があります。それは一部正しいといえますが、それだけで労働欲を説明できるわけではありません。
働かなくても生活に困らない人でも労働欲がある人はたくさんいます。実際、日本では生活するに十分稼いでいるにもかかわらず働くことをやめない人たちが周りにいるはずです。これは、労働欲が生活や金のためだけではないことを意味しています。
では、労働欲はそもそもどこから生じたのでしょうか? 労働欲を生み出したのはいかなる願いなのでしょう?
労働欲は元をたどると、生物として生きていくこと自体であると考えられます。人は単に快楽を摂取するだけでは生きているとは言えないのです。なぜなら、脳内で分泌される快楽物質は、生きるために発達してきたものだからです。つまり、因果関係が逆で、快楽を得るために生きるのではなく、人間本来の在り方は生きるためにする行為に快楽を与えているに過ぎないのです。
植物にも労働欲はあるでしょうか? 厳密にはなさそうですが、植物が生きようとする欲望を持っているかという観点で見ると、植物には労働欲があります。光合成によるエネルギーの生産は植物にとっては労働の一種であると同時に生理的活動でもあります。
同様に、人間においても生きようとする願いがあり、生きようとする願いをもとに労働欲が生じると考えられます。逆に言うと、労働欲がないというのは、生きようとする願いが失われているということを意味します。
そして、こうした状況は容易に起こります。例えば、働きすぎて疲れたとか、人間関係に疲れたとか、わたしたちの脳が感じる疲労感によって、生きようとする願い、そこから生じる労働欲が失われてしまうのです。
とはいえ、この喪失状態の多くは一時的であり、休日に休みを取ったり、ストレスの原因になる人間関係から逃れることで楽に生きることができます。

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