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日記 2024.4.1(月) 春のこと/図書館へ/電話が好き/今日の風景を描く/春を好きになる

4月になった。春はこれまでずっと苦手な季節だった。春が来ると思うと憂鬱で不安で気持ちがぐっと落ち込むことが増える。卒業、入学とか変化の季節にそわそわしてしまう自分がいた。だけど今年は素直に冬を楽しみながら、春を迎えることを心待ちにしていた自分がいる。これにはさすがに驚いた。いや、驚きはしない。理由はわかっているのだ。

新しく買ったハチミツの味を確かめたくて起き上がる。起き上がる時はまだもう少し決心が必要だ。それでもいつのまにか早起きを覚え、自分で時間割を作り、1日を組み立てて動くようになってきた。こんなことできるとは本当に思っていなかった。毎日続けることを続けるだけで変わっていくことができる、小さな毎日を続けていくとこんな気持ちになるのかと思う。

今日は肌寒くてインナーを出してまた着ている。でももう分厚いニットは着ることはないかな。少しずつ冬物を洗濯して衣替えを始めよう。Tシャツ類はそろそろ出しておいても良さそうだ。去年思いっきり整理したので夏物衣類の入った衣装ケースはスカスカになっている。少ないと気持ちがほっとする。今あるお気に入りたちを大事に着ていくことができる。

今日は宮崎県の番茶を淹れる。淹れてすぐは黄金色、時間が経つと飴色になって色も美しい。最近、番茶の湯気で目を温めるのがお気に入り。あたたかい番茶の湯気の上に眼球をもっていく。どこかで見たわけじゃないのでいいのかよくないのかはわからないけれど、なんだかとっても気持ちがいいのだ。
ヒーターをつけるほどではないけれどひんやりとしているのでしばらく番茶の入ったナルゲンを抱いたまま縫い物をする。白内障の手術をしたお父さんに大豆のカイロをあげようかなと縫っている。お腹が暖かくて気持ちがいい。
モンベルの分厚い靴下ももう履かなくなってきそうだなと毛玉取り器をかけておく。今年の冬もわたしの足を守ってくれてありがとう。労う気持ちできれいに毛玉を取っていく。ついでに古着屋さんで買ったナイロンパーカーのドローコードの毛玉とクマの着ているフリースの毛玉も取っておいた。あーすきっきりした。

お昼ご飯のお味噌汁。今日はごろごろに野菜を切って黒ごまを手でひねってたっぷりと入れて作っていく。にんじんは乱切り、れんこんはサイコロ、それらに合わせて玉ねぎも切っていく。毎日おんなじ野菜でお味噌汁を作っても切り方ひとつで新鮮さは出せる。あるもので料理して生きていこうとすると工夫しようとするし、工夫すると楽しくなる。昨日煮た大豆の煮汁を残しておいた。冷蔵庫に入れておいたらぷるんぷるんにかたまっていた。半分だけお味噌汁の出汁として使ってみたけれど、これほんとうに美味しい。お味噌を入れる前に味見するとこんなに美味しいのかと驚く。出汁にもなるって大豆ってほんと凄すぎないか。お豆腐も手作りしてみたいしがんもどきも作ってみたいし、大豆ひとつで手作りのわくわくはどんどん広がっていく。

今日は図書館へ行く。なんだか久しぶりになってしまった。お昼ご飯を食べてから少し仮眠をとっておこう。生理も始まって眠たい。1時間くらい昼寝する。ここ2ヶ月は体の中が静かに変化していると感じる。ほぼ自分の作ったものを食べるのは変わらないけれど、お昼ご飯をたっぷりにしてお味噌汁を毎日食べる。部付き米に小豆やはと麦を混ぜごま塩をかけてたっぷり食べる。ぬか漬けとザワークラウトを作って乳酸菌を積極的に摂るようにもなった。腸からのお便りにも変化が現れるようになってきた。生理の周期がかわってきていることも興味深い。これまでほとんど遅れたりすることもなかったのが今回は1週間くらい遅れてやってきた。これをどう捉えるか。アプリからはストレスやホルモンバランスの乱れではないですかと注意喚起のメッセージが表示されたけれどなんだかそんなふうには思えない。ちゃんと変わってきていると思えてちょっと嬉しいくらいに感じる。自分のことを毎日見つめていると、変に不安になったりすることもなくなるのだなと思う。

図書館へ向かいながらだんだん雲行きがあやしくなってきた。途中から雨が降る。ざっと来たら困るなと思いながら急ぎ足で歩くけれど、雨を浴びるのは気持ちがいい。4月最初の図書館、席はほとんど埋まっていたけれどL字になった大好きな席だけ空いていた。ついてるな。

外をぼーっと眺める。今日から携帯の通話プランを再開させた。仕事を辞めて電話を使うことがなり通話プランを外していたけれど、手続きなどでちょっと必要を感じるようになったのだった。
わたしは電話で人と話すのが大好きだ。電話って人と距離を保つことができるからすごくいいと感じる。家族の顔を見ながらのテレビ電話も安心するけれど、やっぱり声だけの電話が好きだ。声だけを頼りに相手の気分や気持ちを探っていく。声にはいろんな情報が詰まっている。どこに句読点を打つか、どんな早さでしゃべっているか、風邪気味なのか、明るいのか暗いのか、神経が声に集中するからよく分かる。わたしは人の気持ちを自分が体験しているかのように感じてしまうことが結構あって、それが実はちょっと辛かったりする。面と向かって人としゃべると情報が多すぎて自分の中に相手が憑依してくる感じがする時がある。声だけから得られる情報だけだとある程度自分の想像も入っていると思いながらしゃべるからそのあいまいさがいい。

電話が好きになったのは学校を卒業して初めて就職した会社の影響が大きいと思う。なんでもこわくてなんでも不安だったわたしはもちろんずっと電話が大の苦手だった。好きなのは大好きな人からの電話だけ。でも入社して何にもできないわたしに最初にできることといえば電話にすぐに出て担当者に繋ぐことくらいだったので毎日率先して電話に出るようになった。これもやっぱり続けることなのだなと思うけれど、反復練習のように毎日毎日電話に出ていくうち体が慣れてくる。電話の相手は無愛想な人、やさしい声で対応してくださる人、早口で聞き取れない人、面白いことを言って笑わせてくれる人、いろんな人がいる。会社の中にいるだけでいろんな人と話すことができて結構楽しくなってきた。毎日毎日ひたすら電話に出ているとたくさんの電話対応のデータがわたしのなかに蓄積されてくる。わたしの電話の対応はどんなだろう。いいなと思う話し方はわたしも試してみたいし真似したい。わたしなりのすてきな電話対応の仕方を考えるようになっていった。電話は相手の顔が見えない分、やや大袈裟にわかりやすく明るく振る舞うことがいいなと感じた。第一声の定型文はとにかく明るく。仕事柄、毎日トラブルやハプニングの電話もたくさんかかってくる職場だった。イライラしながら電話をかけて来られる方も多い。そんな時でも電話に出た相手が第一声とびっきりの明るい声だとちょっとひるんでしまうと思ったのだ。そんなことを考えているうちに、電話が苦手だったということはいつの間にかすっかり忘れてしまって仕事にも少しずつ慣れていった。
図書館へ向かう途中、入社式を終えて移動する人の列を見かけた。入社したばかりの人はみんな下を向いて静かに歩いていたからよく分かる。初日はやっぱり不安もあるしやたらと疲れるよな。今って仕事で電話はそんなに使わないのかな。電話の方がうまくいくってこと、意外とまだいまもあるかもしれないなと自分の実感を思い出しながら列を眺めた。

図書館では本を読んで過ごした。少し読んでは思考が始まり本を閉じる。また本を開いて読み進める。また思考が始まる。近ごろ本を読むとなぜかそうなってしまう。なぜだかはわからない。17時まで過ごして帰る。いつもの帰り道を歩く。ガラス窓の向こうに猫を発見。しばらく見つめ合う。産毛と毛穴から電波を出して猫と交信する。猫も目を逸さなかった。だんだん離れていくわたしをずっと目で追ってくれた。猫の素直なエネルギーを少し分けてもらった。
産直市場の駐輪場の奥の方で黒猫にも会った。また猫と交信する。小さい頃実家にいた黒猫のことを思い出した。クロとタラ。心の中で声をかけた。猫も春を感じているのだな。大家さんちのズビズビにももしかしたらそろそろ会えるかもしれない。そう思って家の駐輪場を見たけれど今日は会えなかった。
家のドアを開ける。夕方少しずつ暗くなっていく部屋の中。安心する場所に今日も戻ってきた。

夕飯はお味噌汁の残りにザワークラウトを加えて温めて、よもぎ入り玄米餅を焼いて入れた。お餅も美味しい。お父さんから無事に白内障の手術を終えたと連絡があった。ほっとする。またたくさん本を読めるようになるね。
お風呂上がりにストレッチ。冬は体もかたく小さく縮こまるイメージだったけれど、毎日ストレッチをしてから寝ると1日の中でリセットすることができて縮こまる感覚がない。体のストレッチは心のストレッチにもつながっているような気がしてきた。今日の最後に机に向かう。今日は今日見た風景を描く。図書館を出てすぐ雨上がりの夕方の空。北の方には雨雲がある。こだわりの八百屋さんに寄っている間にもう一雨来たのを思い出しながら描いた。気まぐれな春の天気を描くことができたかな。

悩んでゆらいで時々小さく小さく丸まったりしながらそれでも続けることをやめないでいるうちに春を好きになることができた。春を好きになれている自分がいることがほんとうに嬉しい。なんてったって春はわたしが生まれた季節。わたしはこの季節を選んで生まれてきたのだ。



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