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日記 2023.12.13(水) 頭痛回復/マッチ工場の少女を観て/旬の野菜/量り売りの店/ひな壇冷蔵庫/買いやすさ/無職でいること

4時くらいに目が覚めたりしながらもしっかりといつも通りの時間までは布団で過ごす。頭はまだ重いけれどお腹も空いたし、コーヒーが飲みたいし、いい天気で洗濯もしたい。
コーヒーを飲むと頭痛が治るというのがあるけれど、頭痛がする時確かにコーヒーが飲みたくなる。逆に風邪っぽいときはまったくコーヒーが飲みたくない。昨日はめんどくささからコーヒーを飲まなかったけれど飲んだらよかったのかもしれないな。

窓を開けて換気をしながら昨日の夜のおじやの残りを食べる。梅干しを入れて食べるとより美味しい。
豆を挽いてコーヒーを淹れる。今日のコーヒーの味はなんだかやさしい味。ピアノが弾きたくなってiPadで鍵盤をたたく。『優しさの毛布でわたしは眠る』を聴きながら、自分に向けてこの曲を弾いてあげる。いつのまにか大丈夫、そう思えるようになっていた。

4時に目が覚めてから、昨日観た映画のことを思い出していた。アキ・カウリスマキの『マッチ工場の少女』。伏線もなければ、ハードなシーンも音声のみだったり。ほとんどの出演者が無表情でセリフも少ない。淡々とあっさりと終わってしまった。最初はそう思うかもしれない。
でもなぜか時間が経つにつれて、どんどんと主人公イリスのわずかな笑みや涙、表情のひとつひとつを思い出してしまうのだ。完璧なまでのフレームの切り取り方はすべてが絵になる。
愛してくれる人のいないイリスのさびしさ。それゆえ起こしてしまったこと。それらをどう捉えるか、どう思うのか、それは観る側次第ということなのか。
最初からおわりのような、絶望してもまだ人生は続いているという現実を感じさせる終わり方は、観終わった後にじわりじわりとくるものがある。
人の人生なんてひとことでは語れない、と監督の声が聞こえてくるような気がした。

昨日ほうれん草を久しぶりに食べた。あんまり買わない野菜だけれど、火を通した時の濃い緑色がすごくいい色。元気がでてくる色だ。お昼ご飯はトマトと干し椎茸とパスタにしたのだけれど、色合いが最高。今日も野菜から元気をもらって生きているのだと目で見ても感じる。うれしくて踊り出しそうになる。旬の野菜を食べるというのは意味があるのだな、と思う。

今日もいつものように塩麹で味付けしたパスタ。

お昼を食べて、気になっていた量り売りの店に行ってみる。量り売りのお店のことがずっと気になっているようで見つけたら行ってみることにした。駅からほど近いところにあるその店は手前にカフェのような場所がありそのカフェの壁側とその奥に量り売りの商品が並ぶ。100gでいくらと書かれた瓶に入ったり、木のボックスに入った商品がきれいに並べられていてとっても清潔感があった。眺めてすごく楽しかったのだけれど、わたしはなんだか手を出すことができなかった。お店の方も何かお手伝いできることがありましたらと声をかけてくださったのだけれど、今日もなんだか勇気が出なくて量り売りにチャレンジすることができず、見学してお店を出た。量り売りのシステムはとっても素敵なのに、どうして手が出ないのだろう。そういえば、お肉屋さんの量り売りコーナーも買う時すごくどきどきしてしまう。値段が分からない、それがこわくて手が出せないのかもしれないと思った。気軽な雰囲気の量り売りは、実はわたしにとってはすごくすごく敷居の高い存在なのだと気づいてしまった。
他の用事もなかったので、せっかくだからとひと駅歩くことにして、歩きながらずっとどうしたらわたしは量り売りにチャレンジすることができるのだろうかと考えていた。

歩いている途中に、小さなオーガニックの野菜と食材のお店をみつけた。外の箱にみかんが置いてあり、ひと袋200円とある。6個くらい入っていた。安い、そして小ぶりでものすごくタイプなみかんだったのでこれは買うぞと中も見てみることにした。店内のショーケースの冷蔵庫がお花屋さんのような天井まである冷蔵庫で、中がひな壇になっていてとっても見やすい。泥付きのにんじんも美味しそうに並んでいたので手に取り、りんごもつやつや美味しそうなものをひとつ買うことにした。あと、外に書いてあった焼き芋もひとつお願いしてうれしいお買い物ができた。すてきなお店でよい買い物ができたな、そう思いながら店を出た。

今日買ったものたちはどれも当たりだった。

ふと、量り売りのお店とこのお店の違いを考える。どちらがいいとかわるいとかそういうことではなくて、わたしにとっての買いやすさとは何なのだろうということ。
まず、外に置いてあったみかん、箱に入れられて、上から日焼けのカバーがかけてあった。そういったところへの配慮もなんだかすてきだと思った。中に入ると小さなお店にびっしりと商品が並び、配達も可能のようだった。そして商品の説明が値段と一緒にひとつひとつ貼ってあるのだ。なんだかいいな、素直にそう思ってここで野菜を買いたいと思ったのもあったかもしれない。置いてある野菜たちもイキイキしているように見えたし、実際買ったみかんと安納芋の焼き芋は食べるとものすごく美味しかった。信頼できるもの、好きなものを売っていますというお店に思えてまた行きたいと思った。

まいちゃんが昨日教えてくれた黒千石小粒なっとうというのも帰りにスーパーで見つけて買ってみた。まいちゃんがものすごく美味しかったからぜひ食べてほしいと言っていたので楽しみに食べると、なんともびっくり初めての味わいでとっても美味しかった。小粒で皮がしっかりとしていて豆はふっくらと粒感がある。辛子ではなくてわさびがついていてそれもまたよく合っていた。いつも行くスーパーにあったのだけれど、納豆もだいたいいつも同じものを買うわたしには到底たどり着けない品だった。新しいことを教えてくれる信頼できる友だちに感謝する。まいちゃんからは信頼されるということを学んでいる。

今日はとってもよい買い物ができて満足した。帰り道、エコバッグはぎっしりと重かったけれど、ほくほくの中身を思うと肩は全然重く感じなかった。

昨日は頭痛で元気がなかったかと思ったら今日は美味しいものたちに出会えてうれしくて満足している。

わたしが今もまだ無職でいることには何か意味があるのだと思う。資金が底をつきそうだからとか、十分ゆっくりできたからとか、中途半端な理由で今のこの流れを止めたくない。いつか何かを掴んでそれに向かって進みたくなる時まで、貯金を削ってでも真剣に無職でいてみたい。きっと、無職でいる理由がはっきり分かる時がくるだろう。いつなのかは誰にもわからない。だれかの時間は目安にならない。これはわたしの話で、わたしの無職の時間は、まだまだ終われそうにないというだけのことだ。

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