「人は育てられたようにしか、人を育てられない」という呪い。

結婚していたころ。
子どもが生まれて少し経ったある日、

「人は育てられたようにしか、人を育てられない」

と、まるで呪いのような言葉を元配偶者母からかけられた。
その後、どのように自分は結婚生活をし子供を育ててきたのか、どんな苦労があったのかを数時間語り続けた。

夫(元配偶者父)の仕事で知らない地に引っ越してきたときは現金が20万円しかなく、とても不安だったこと。
夫(元配偶者父)が大病を患い、病院と家を自転車で往復したこと。
子どもを育てながら、自動車免許を取ったこと。
高学歴だった彼女に仕事をしてみないかと誘ってくれた人がいたが断ったらしいこと。
子供が悪いことをしたときは折檻をしたこと。
怒鳴って怒ることがたびたびあったこと。
どうせ子どもは覚えていないんだから、旅行は子どもの行きたいところではなく自分たち夫婦の行きたいところへ行っていたということ。
上の子(元配偶者)が作った弓矢のおもちゃの実験のため、下の子を獲物の代わりに走らせ怪我させたこと。
上の子(元配偶者)と下の子が殴り合いの喧嘩をしたときに、下の子の歯が折れるまで喧嘩を放置したこと。

ただただ誰かに話を聞いてほしかったんだろう。
うんうんとうなずきながら何時間も話を聞き続けた。

前半に関しては、女性だということで活躍はしづらかったこと。亭主関白で大病を患った夫を持ち大変だっただろう思った。
しかし、子どもに対し折檻をしたことや、下の子が怪我をするまで上の子を制止できない様子を笑いながら話すので聞くに堪えられなかった。

その人が

「人は育てられたようにしか、人を育てられない」

と話し出したのだ。

恐怖を感じた。
ワタシの(元)配偶者にも同じことを言っているだろう。

数年後、上の子が小学生になると、元配偶者は子の言い分も聞かず突き放し、怒鳴りつける。叩く。
その行動に対して苦言を呈すると、そういう風に育てられたんだから仕方ないとう言い訳を話し始める。
完全に母の言葉の呪いにとらわれている状態だった。
(おそらく、今もとらわれている)

どのように育てられても、育てるときには自分の頭で考える必要がある。
昔は当たり前だったことが今の当り前ではない。
自分自身がされて嫌だったこと、傷ついたことをそのまま子どもにする必要はない。

その子、その子によって合う合わないがあるから、試行錯誤しながら、子どもと対話をしながら子育てをしたいと思っている。
親の影響は子どもにとってとても強い。

だから、子どもたちには親は絶対ではないこと、間違っていたら、意見が違ったらぜひ話してほしいと言うようにしている。
また、親教師以外の大人と交流する機会をなるべく作りたいと考えている。

子どもたちが生まれた時からほぼひとりきりで育てているワタシだが、今後も呪いにはかからず、今の子どもたちを見て、たくさんの周りの人たちに手を借りつつ育てたいと思っている。
(手を借りっぱなしではなく、どこかの誰かにお返ししたいとも思っている)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?