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上場企業8.普通の会社

  工場には幹部用の社用車があり、運転手がいたが、直ぐに廃止して車は売却、運転手は現場に配置変えし、私は久喜駅から会社手配の社員用の通勤バスで通った。事務所一階の中央窓際に社長(私)の机を配置し、その前に数人の打ち合わせテーブルを置き、殆どの打ち合わせは、そこで済ませた。
 
 工場としての組織は廃止、総務、経理、購買などの組織は本社と統合し、全部纏めて管理部とし、部長はNO2の常務が兼務した。他に現場を統括する製造部、技術開発部などの部長は全て社長直下とした。階層が2段階減り、私からすると話しが通りやすくなった。
 
 従来、工場長が主催していた職場安全巡視、安全衛生委員会、災害があった場合の現場確認、対策の決定などは、全て私自身が引き継いだ。更に週に2度、若手技術者1人をつれて、彼が普段考えている技術的な話を聞きながら現場を歩いた。現場作業員に私が現場を歩く姿を見せることも目的だった。
 
 管理部門を中心に人が大幅にだぶついたが、あまり目立たないように2年程をかけて、J社からの出向者を戻すなどして人を減らした。部長、役員クラスを減らすのは諸諸があり、それなりのトラブルもあった。一段落したところで、希望退職の募集もした。通常の退職金に加えて2年間の年収をプラスすると好条件にしたところ、数人が名乗りを上げて退職した。なかには、優秀な人もいたので心配する上司もいたが、特に問題はなかった。
 
 要職を占めていたJ社系社員がいなくなったので、当社に入社した社員が努力して実績をあげれば、責任者になり、役員にもなりえるという当たり前の上場企業になっただけの話だ。
 
 何らかの事業戦略で売り上げが増えたわけではなく、単にケチを徹底させただけだが、会社収益は驚くほど改善され、2年後に過去最高益を更新したのは、自分でも意外だった。

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