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お墓の改葬

 亡き父から受け継いだ「家門永代記録」(過去帳)には
初代、江戸時代の八坂屋藤助から、6代目の父に至るまで、
代々の息子と娘の結婚相手や嫁入り先など、
年代と係累が漏れなく記載されている。
もっとも、父の代からは普通のサラリーマンだから、
自分が○○家7代目と言われてもピンとこない。
 

父から引き継いだ当家の過去帳


 15年ほど前、まだ存命だった父の指示で、
松山のお墓を東京西多摩の霊園に移したしたことがある。
お墓の移転(改葬)は簡単なことではなく、
松山のお寺様に事情を説明して、お布施を収め、
埋葬証明書を発行してもらい、諸々の手続きを行う、
石屋さんにお墓の撤去、整地を依頼し、
お寺様による墓石の魂抜に、新潟から松山へ出向くなど、
仕事よりお墓の改葬が優先する2か月だった。
 
 戦前、祖父が松山のお寺に設置した当家のお墓は、
低い石塀に囲まれた敷地に、3体の墓石が並んでいる。
中央が当家代々の墓、右が祖父の両親の墓だが、
左の墓石はM家・Y家‐両家の墓と彫られており、
お寺のご住職に訊いても当家との拘わりは定かでない。
父は、多分遠縁だろうと適当なことを言う。
 
 墓石はきめの細かい香川の庵治石で、なかなか・・・らしい。
そのまま使うことにして、3体とも東京西多摩の霊園に送った。
新たな墓地に、3体を立て、祖父母等の骨壺をカロートに収め、
浄土宗の法要を行って一件落着、引越は無事に完了した。
しかしながら、万一、M家、Y家の人がどこかにいたら、
当惑するのではないかと些か気になっていた。
 
 その後、改めて「家門永代記録」を真面目に読むと、
当家の3代目は、Y家からの婿養子だったが、
Y家とその親族のⅯ家は次の代で絶えてしまったと書いてある。
祖父は意外と義理堅かったらしい。
 
 今、我長男は48歳、次男は44歳、
それぞれ一家をなしているが、
4人の子供(つまり孫)は全て女の子だ。
お墓のことは息子たちに委ねるしかないが、
東京の墓地は敷地が狭く、3体の墓石がギリギリで、
4体目は無理なのである。

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