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村山由佳「阿部定」

 引き続いて、文芸春秋8月号の特集「昭和100年の100人」から、村山由佳さん記述の「阿部定」を紹介します。
 
 先ず、冒頭の紹介です・・・・
 「愛した男を殺し、局部を切り落とす」という事件の猟奇性で、“昭和の妖婦”と呼ばれた阿部定(1905~没年不明)。評伝小説「二人キリ」でその生涯に迫った作家の村山由佳氏が、彼女の意外な実像を語る。
 
 村山由佳さんは「星々の舟」の直木賞作家だ。「ダブルファンタジー」では、男女の営みの、あまりにリアルな心身の描写に、読んでいるこちらが赤面する程だ。その彼女が阿部定評伝小説を書いたのは、まさに適材適所だ。
 
 村山由佳さんは、阿部定の供述調書を読んで印象が変わったそうだ。以下、その部分から紹介する。・・・
 裕福な畳職人の家に生まれた定は流転の人生をたどります。そこには十五歳で大学生に強姦され、非行に走り、満足な教育も受けられないまま父親に売られ・・・という経緯がありました。芸妓から娼妓になり、各地を転々としたこと。女中奉公していた料亭の主人・石田吉蔵と恋仲になり、待合での行為の最中に彼を殺し、男性性器を切り取っただけでなく、大切に持ち歩いていたこと。逮捕された際に、それを取り上げられると半狂乱になったこと。五年で出所後、身元を隠してサラリーマンの男性と平穏な生活を送るも、自身について書かれた本に激怒し、提訴したせいで素性がバレて夫と別れたことーーー。知れば知るほど、その人生に引き込まれてきました。
 
 事件が起きたのは昭和11年5月、3カ月後に2・26事件があり、世間は戦争に向かっていた時期だが、定と吉蔵の頭には自分たちの男女の営みしかなく、国の行く末など全く意識していなかった。定が吉蔵の首を絞めて殺したのは、二人が恋仲になってから、わずか2カ月後。吉蔵は抵抗して逃げることも出来たはずだが、「いつ死んでも構わねえ」といった厭世観があったのかもしれない。
 
 昭和44年に公開された映画で、定自身がインタビューに応じ、「人間だから浮気ぐらいのことはあるにせよ、本当に心の底から好きになる相手は一生にたった一人なのじゃないかしら」と語っている。定が公の場に出たのは、この時が最後。その後の足取りは不明だ。
 
 村山由佳さんは、最後に以下の如く記述している。・・・・
 定をこのような女性にしたのは、当時の女性が置かれた立場の弱さに加えて定をめぐる環境的は要因も大きい。必要な教育を受けられなかったことで、自分を俯瞰し、社会において人生の道筋を考える能力が育たなかった。彼女なりの生きる術として男性に頼るしかなかった。そう考えるほど、阿部定事件は、単なる猟奇殺人ではなく、社会の問題でもあったのだと思えてなりません。
 
 村山由佳さんの「二人キリ」を読んでみたくなるが、どうだろうか・・・・

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