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大径管工場の建設 13.最後に、

 2.5年と総額300億円をかけた新大径管工場が稼働して3カ月ほど経過し、操業が安定したとのことで、建設チームは解散した。稼動は順調で、その年末には月間生産量6万トンを超えて世界新記録達成だと工場長が威張っていた。
 
 その数年後、再度世界の油井掘削ブームとなり、当社も大規模な新シームレス工場(総額約1000億円)を新設することになった。建設体制は、操業技術のエース、英語バイリンガルの沼山課長が中心となり、設備設計はまたも私が担当した。私はその工場の稼働後、設備部門から操業部門にコンバートされ、以降、シームレスパイプ製造の操業部門を歩むことになる。
 
 大径管建設時の上司、稲山係長は、40歳代である日突然倒れてあっけなく亡くなった。噂では酒の飲みすぎとのことだ。その上司の山上課長は50歳過ぎに関係会社に出向し、間もなく癌を発病して亡くなった。お二人は40代、50代でのご逝去、お聞きした時は、胸に去来することが多々あり、些か寂しかった。今となっては、当時の関係者で私より年上の方は殆ど故人になられている。だから私としても個人情報云々を気にせずにこういった文を書けるわけだ。
 
 これにて、この物語は終了ですが、最後に本当のことを言うと実は・・・・
この物語は全てがフィクションであり、全ての登場人物は、現実に存在するいかなる組織、会社、個人と、些かも関係のないことを、念の為つけ加えさせていただきます。

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