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昭和60年:場末の立ち呑み屋

 製鉄会社の技術系サラリーマンとして、
それなりに階段を登り、39歳、
川崎の某工場に勤務していた。
毎朝南武支線の終点H駅で下車、徒歩1分で工場の門に着く。
H駅は殆ど我が工場専用で、本数が少ない。
朝は時間を合わせて乗るが、帰りは遅くなることが多く、
そうなると、1時間に1,2本しかない。

 で、うまく出来たもので、駅の手前に、
電車待ち人用の立ち呑み屋がある。
ほぼ毎日、そこで帰宅の時間調整をしていた。
建物は屋根付きのバス停の如く、道路側が開けており、
前を通ると中が丸見えだ。

 店内正面と左右に、
あまり清潔とは言えないカウンターが3列、
床には煙草の吸殻が散在し、
棚には、何年も経ったかと思えるカップ麺や煎餅袋などが、
埃を被って並んでいる。
勿論、暖房も冷房もなく、いかにも場末の立ち飲み屋、
勤務を終えた現場社員が一杯ひっかけるには格好だ。

 21時を過ぎ、夜勤に引き継いだ昼勤の人が、
門から出てくると、急に客が増える。
背中も両腕も微妙に触れ合いながら
カウンターに向かい、12,3人で一杯になる。
数人が店から溢れて外で呑んでいる。
飲食店として、保健所の許可が降りるとは思えないが、
そんなことは誰も気にしない。

 焼酎のソーダ割り(ほとんど焼酎)ジョッキ一を一杯呑んで
それなりに酔い、これに少し怪しげなおでんを2,3個食べて、
1000円でお釣りがくる。
スーツとネクタイ姿の我身はかなり目立った・・・ようだ。

 そこから電車を乗り継ぎ、
1時間余かけて横浜の我が家に帰宅、
顔をあまり見られないように、浴室に直行する。
風呂から出て、改めて一杯呑む・・・
といった生活が3年ほど続き、他の工場に異動となった。

 なお、表題の画像は、ネットから拝借した、同じ呑み屋の写真です。
今でもに営業していることに驚きました。

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