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御嶽の料理旅館河鹿園(かじかえん)

 2008年8月の日記です。
 
 お盆休みの初日、8月13日に母の一周忌を西多摩で行い、
もののついでということで、当家の6人(私、長男、次男の3ペア)で、
青梅の先、奥多摩に近い御嶽の料理旅館「河鹿園」に一泊した。
息子たちは、宿を取ってから連絡してきたなどと、ぶつくさ言うが、
そんな事はお構いなしだ。

 宿は御嶽駅に近く、前面が駐車場を兼ねた広場になっている。
正面に竹で作られた腰の高さほどの簡素な木戸があり、
そこから、宿の敷地ということらしい。
手前左に、古めかしい木造の建物があり、帳場と書いてある。
戸をたたいて声をかけると、お待ちしていましたと言いながら
係りの人が、出てくる。
案内されるままに、敷地に入ると、左に母屋があり、石畳を挟んで、
右が3棟の離れになっている。
いずれも、旧い木造の2階建てだ。

 離れの3棟は、多摩川を望む急傾斜の土手に建っており、
先に行くに従い、数メートルずつ下がっている。
前面の渡り廊下が適度に傾斜して、下るに従い、
それぞれの棟の入り口に通じている。
各棟は、1階の2部屋が宿泊用、2階は広い二間続きで、
会食などに使われるようだ。
俺たちは中段の棟の1階に、息子たちは下の棟の、1階の
2部屋に案内される。

部屋に入ると、正面が幅一杯の窓


 部屋に入ると、正面が幅一杯の窓になっており、眼下
(20メートル程度)が多摩川の渓流だ。
川幅は20メートルほどで、両側と川中に高さも幅も
2,3メートルはあろうかという大きな岩が点在し、
清流が勢いよくぶつかって、絶え間なく水の砕ける
大きな音を発して、いかにも男性的だ。

眼下 は多摩川の渓流


 川の向こうは、5メートルほどの土手で、
上が遊歩道になっている。
その向こうに公孫樹(いちょう)や桜の大木があり、
更にその向こうに白壁の瀟洒な建物がある。
川井玉堂(日本画)美術館とか。
建物は左右に4,50メートルもあろうか、その半分が、
日差しを浴びた深緑に隠れている。
美術館の向こうは、濃い緑の杉に覆われた小山が
連なって、一幅の絵の如くであり、借景とは、
こういうことかと、納得する。

向こうに白壁の瀟洒な建物がある。 川井玉堂(日本画)美術館だ


 部屋は昭和初期の木造で、土の壁、杉の天井、
建具、窓の手すり、取っての一つに至るまで、
そのままを維持しており、タイムスリップしたような感覚だ。

 息子たちの部屋を覗いてみると、川に更に近く、
角の2方がガラス窓になっており、景観と部屋が一体になっている。
長男、次男の両方の嫁はほぼ同じお互いの部屋を見て、
そっちがいいとか、こっちがいいとか、難しいことを言っている。

 清流に誘われて、川原まで降りてみたが、岩の足場が悪く、
力が入り、おまけに真夏の夕日が残っており、汗だくになる。
風呂で、汗を流し、食事となる。

川原まで降りると、岩の足場



 食事の部屋は俺達の棟の2階、周り廊下のある広々とした続き部屋だ。
東南の全面が掃きだしのガラス戸で、開放感抜群。
地震にはどうかとも思うが、今まで無事なので、大丈夫なのだろう。

食事の部屋は周り廊下のある広々とした続き部屋、 東南の全面が掃きだしのガラス戸


 食事は量も味付けも程よく、時間をかけてだされるので、
ゆったりとした気分になる。
酒も美味く、一緒にいるのは、身内だけだから、気兼ねは不要。
余計ないことだが、鮎はその辺りで、取れたものではなく、
築地から仕入れたものだそうで、そのほうが、
いろいろな意味で安心だと、係りの仲居さんが、言っていた。

 仲居さんの話は続き、こんなに静かにきちんと時間通り
食事をされる方は珍しいと、言っていたが、
今更、息子夫妻たちと、大きな声で話すような事はなにもない。
こちらは、彼らを喜ばしているつもりだが、
あっちは親孝行をしてあげていると、思っているらしい。

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