回答不可能な質問について

免責事項

本稿の内容は素人の考えであり専門性はありません。


1. 経緯

質問A.:「そんなの偽善じゃないの?」
質問B.:「私のこと本当に愛しているの?」

このような言葉を問い掛けられて困ってしまった経験はないだろうか。私にはある。
すると、「たしかに、自分は偽物かもしれない……」と思ってシュンとしてしまったりする。
自分がそうなったこともあるし、他人がそうなっているのを見たこともある。

「私は良かれと思ってやったけど、これは偽善だったのかもしれない……」
「私は誠実に関わっていたつもりだけど、これは愛ではないのかもしれない……」
⇒「私はダメなのかもしれない……」

本稿で注目して扱うのは、このような”長期間にわたって特定の言葉に囚われて苦しめられる問題”についてだ。
本稿では、このような言葉を”呪いの言葉”と呼ぶことにする。理由は後述する。

2.問題の明確化

”呪いの言葉”の悪影響は、疑念を植え付け自信を喪失させることのように思える。行動が阻害される。
では、どうしてそのような悪影響を生じるのだろうか。

これから示すのは次の三つの問題だ。

問題(候補)
◆質問の意味が特定できないこと
◆質問の意味特定に思考が占有されフリーズしてしまうこと
◆質問に回答しようとすること自体がナンセンスな可能性

問題候補①:内容の意味が特定できない

質問A.:「そんなの偽善じゃないの?」
質問B.:「私のこと本当に愛しているの?」

落ち着いて考えてみると、”善”や”愛”という言葉はラベル (≒名称)に過ぎない。

”善”や”愛”といった言葉は理想的な事柄の内容を示す言葉だと思う。他に、”正義”や”真実”、”美しさ”なども同類だろう。

たしかにラベルや理念は重要だが、具体的な実態も重要だ。言葉には、それが指し示す実態が伴っていないと意味が無いということだ。
ここで問題なのは、理想的な言葉の曖昧さだ。
おそらく、人によってそれぞれ何らかの意味が形作られてはいるが、その意味内容が公に合意されていないか合意が進んでいないのではないだろうか。

”善”や”愛”といった言葉は、解釈の幅が広すぎて言葉の意味が定まりづらい。
だから、質問者の指摘が正しいとすれば、自分が間違っていると解釈できる意味の組み合わせが少なくとも一つはあることになる。
ではその意味とはどのような内容なのか。
これは難問だ。もちろんすぐに答えが出ることは殆どない。
だから、この種の質問をされると多くの場合に困惑や長考が発生し、フリーズしてしまう。

問題
◆意味が特定できないこと
◆意味特定に思考が占有されフリーズしてしまうこと

問題候補②:内容に意味が無い可能性

もちろん、自信さえあれば良いとは言い切れない。
もしかしたら、”呪いの言葉”は何か重大なことを指摘してくれているのかもしれない。

質問A.:「そんなの偽善じゃないの?」
質問B.:「私のこと本当に愛しているの?」

しかし、質問A, Bは本当に正当な指摘なのだろうか。
私には不当なものが含まれているようにも思える。
と言うのは、「”正当な指摘という皮を被った攻撃”があるのではないか?」ということだ。

例えば、「そんなの偽善じゃないの?」という質問は、表面上は正当な指摘のように見えるが、実態としてはただ困らせたいだけという場合もあるかもしれないということだ。

だとすれば、例えば「そんなの偽善じゃないの?」は、「この野郎!」とか「べろべろば~!」と言っているのと殆ど同じことだ。
言葉通りの意味は殆ど無く、威嚇という意図や感情だけがある。

問題
質問に回答しようとすること自体がナンセンスな可能性

2. ”呪いの言葉”とは?

本稿で注目して扱う対象は次のものだ。

対象:”呪いの言葉”
◆曖昧な内容によって人を縛る言葉
◆長い間 心に留まり続ける作用がある
◆ネガティブ側

ただし、「呪いの言葉=悪」とは言い切れないのかもしれない。
しかし、少なくとも呪いの言葉によって考えや行動が妨害される場合には、呪いの言葉には悪影響があると言えるはずだ。
だから、その悪影響を解消・緩和することには意義があると考えた。

本稿の目的は、”呪いの言葉”の定義を明示し、構造と対処方法を提案することによって、”呪いの言葉”による悪影響を解消・緩和することだ。

注意
ネガティブ側を解消すると、連動的にポジティブ側をも喪失するかもしれません。

人を縛る言葉について

人を縛る言葉があると思う。

人を縛る言葉の仕組みとしては、”曖昧な内容で縛る”と言う方法がある。
作用としては”長い間 心に留まり続ける”ということが挙げられる。

人を縛る言葉
◆仕組み・構造:曖昧な内容で人を縛る言葉
◆作用・影響:長い間 心に留まり続ける

人を縛る言葉の分類

◆ポジティブ側
思い出、宝物
「心に残っている」「感銘を受けた」「信じている」

◆ネガティブ側
楔(くさび)、重荷、檻
「心に刺さっている」「喉につっかえている」「腹落ちしない」「モヤモヤする」「囚われている」「縛られている」「忘れられない」「頭から離れない」
「トラウマになった」「他人から責められた」「重荷になっている」「悩んでいる」

扱いやすさのためにそれぞれの呼び方を決めておく。

「長い間 心に留まり続ける言葉」の呼び方
◆ポジティブ側:”祈りの言葉”
◆ネガティブ側:”呪いの言葉”

ここで、「呪い/祈り」という言葉をあてた理由は、”人を縛る言葉”が”呪い”に似ていると思ったからだ。
私が考える”呪い”の定義を次に示す。

”呪い”の定義
呪いとは、行動の方法であって、憎しみという感情を発散するためのもの。

特徴
◆作用が永続的なこと

”憎しみ”の定義
憎しみとは、感情であって、怒りという感情が変化 (化石化)したもの。

特徴
◆対象が人や物事そのものであること
◆持続時間が長期的であること

※呪いの定義について、詳細は次の記事を参照。

2-1. 構造① 仮説について

思うに、”呪いの言葉”には共通点がある。
それは次の仮説だ。

仮説
”呪いの言葉”は”取り扱うことが不可能な対象”を含んでいるのではないか?

”取り扱うことが不可能な対象”の例
◆回答することが不可能な質問
◆解決することが不可能な問題
◆真偽判定が不可能な命題

具体例
回答することが不可能な質問
質問A:「それって偽善じゃないの?」
質問B:「私のこと本当に愛しているの?」

仮説が主張していること
質問A, Bのような問題が”人を縛る”ことができる仕組みは、これらの質問に”回答不可能性”が含まれているからではないか?

2-2. 構造② 回答不可能性について

質問A:「それって偽善じゃないの?」
質問B:「私のこと本当に愛しているの?」

これらのような種類の質問は、意味が特定できない言葉が含まれているため、質問全体の意味も特定できない。
だから回答もできない。

この回答不可能性は、誠実さや真剣さ、努力不足とか、嘘や隠し事があるからといった理由のせいではない。自己責任や悪のせいではない。
この回答不可能性を成立させている理由は、原理的な要因だ。

回答不能な理由 (≒原理)
①xの定義が不定ならば、xを含んだ文の意味も不定だ。
②文の意味が不定ならば、文についての評価や判定できない。


質問C:「リンゴは食べられるか?」⇒回答可能
質問D:「ABCはXYZできるか?」⇒回答不可能

質問A:「それって偽善じゃないの?」
「善」が定義できないため「偽善」も定義できない。よって、偽善かどうかを判定することもできない。
ゆえに「それって偽善じゃないの?」に回答することはできない。

質問B:「私のこと本当に愛しているの?」
「愛」が定義できないため判定もできない。
ゆえに「私のこと本当に愛しているの?」に回答することはできない。

3. ”呪いの言葉”の悪影響について

”人を縛る言葉”には影響がある。
影響は、良い影響と悪い影響、その他の影響に分けられる。

◆良い影響 ⇐祝いの言葉
◆悪い影響 ⇐呪いの言葉

ここでは緩和すべき障害として、悪影響に注目する。
つまり、”呪いの言葉”の影響を扱う。

3-1. 攻撃対象が無差別的ではないか?

”呪いの言葉”の矛先は、それを発した人が憎んでいる相手やその集合体に向けられている。

ただし、”呪いの言葉”の影響を受けるのは、必ずしもその矛先にいる対象だけではない。
そもそも”憎しみ”という感情が漠然としているからだ。

”想定した敵”だけでなく、周囲の人々にまで攻撃範囲が及んでしまうことがある。
場合によっては、敵は上手く逃れて、無関係の人々にだけ被害が及ぶこともあるように思う。

3-2. 攻撃方法が詭弁的ではないか?

上に「回答できない理由は自己責任や悪のせいではない」と述べた。

”呪いの言葉”の悪質な点は、回答不可能が罪のような印象を周囲に植え付けるところだ。
回答不可能は自己責任や悪のせいではないにもかかわらず、言葉を投げかけられた人や周囲の人々の内面に罪悪感を誘発し、それによって「回答できないのは自己責任や悪のせいだ」といった風潮を周囲に与えることだ。

3-3. 無責任によって増殖する可能性

反対意見として、「罪悪感を感じるのは思い当たることがあるからだ!」という自己責任を主張する立場もあるようだ。これは自己否定を肯定する考え方だ。

たしかに自己責任的な考え方も重要だ。
なぜなら、責任感は成長を促すという良い作用があるからだ。
ただし、それは「成長したい」という本人の意思を前提に成立することに過ぎない。

だから、頼まれてもいない相手に罪悪感を植え付けるようなことは、少なくとも好ましい行動とは言い切れないと思う。

これはお節介だ。自己満足のために他者に介入する行為だ。
だから、責任を求められるのは介入者だ。
つまり、無関係の他人に対して罪を追及している人も、無関係の他人から罪を追及される場合があるということだ。

特に、ネット上にある言説は不特定多数が目にするため、より重大な影響を生むと思う。

このように書いた理由は、無関係の他人を咎める快楽的な遊びがあって、その遊びをしている人々には責任感が欠如していることが多いように感じる、という個人的な印象からだ。

無責任な遊びだから、”呪いの言葉”が際限無く生産されてしまう。

喩え話
ある政治家が交通事故を起こした。
そのニュースを見た人々によってSNSが炎上した。
「政治家としてあるまじき行為だ!」
「辞職しろ!」

パッと見ると、人々は正しい行いをしているように見える。
しかし、これはお節介だ。余計なお世話というやつだ。
仮に正しい行いだとしても、その行為の責任は自己責任だ。

なぜなら、その交通事故は①加害者である政治家と②被害者、そして③警察&関係者という三者関係によって扱われているからだ。
その三者以外の人は事故に対して部外者だ。
部外者が事故に介入することは不必要だ。
だから介入者は自己満足以外の動機を持っていない。
自己満足の行為の責任は、当然その行為者本人にある。

よって、部外者が当事者を責める行為は、部外者の自己満足によるものであり、その自己満足的な行為の責任はその部外者にある。

3-4. 攻撃が逆効果になっているのでは?

人間は潔白ではない。
潔白を要求するとどうなるか。
悪人は潜伏し、善人が苦しむ。

成熟した悪にとって潜伏することは日常的なことにすぎない。要求される内容が抽象的だから、悪への拘束力も極めて限定的なことでしかない。

対して、善人にとって罪悪感は重大なことだ。
物分かりの良い人や気弱な人、生真面目な人、不器用な人にとっては、抽象的な内容であっても、自分の罪を追及されるようなことは不本意であり避けたいと思うはずだ。
避けるための方法についても、対症療法的のような表面的な方法ではなく、なるべく根治療法のような本質的な方法をとろうとする。
自分が”悪ではないこと”や”善であること”にこだわりがあるからだ。そうでなければ不安だからだ。

だから善人であろうとする人々は、抽象的な理想ばかりを述べるのではなく、必ず具体的な構造や方法を解き明かし、示そうと試みる。
いたずらに人々を不安に陥らせないためだ。

4. 対処方法について

対処方法とは、問題に対してより良い結果を得るための振る舞い方だ。
次に問題を明確にしておく。

問題
”呪いの言葉”による悪影響を受けてしまうこと

ここで扱う問題の例
次のような質問をされることによって、自分の行動に自信を持てなくなり、行動が長期的に妨害されること。
質問A:「そんなの偽善じゃないの?」
質問B:「私のこと本当に愛しているの?」

4-1. 五種類の対処方法

どこかで聞いた話によれば、対処方法には次の五種類がある。
”解決”以外の方法もあることが重要だと思う。
なぜなら、解決ばかりに囚われがちだし、そもそも”解決”は多くの場合で難しいからだ。

◆解決する
◆逃げる
◆保存する
◆忘れる
◆共有する

具体的に展開すると、例えば次のような感じになると思う。

質問A:「そんなの偽善じゃないの?」
◆解決する⇒「まず善とは何か?」
◆逃げる⇒「そうかな~? ごめ~ん」「以後気をつけます」
◆保存する⇒「そうかな? メモしとくね」
◆忘れる⇒「私そんなことした? ゴメン何だったっけ?」
◆共有する⇒「それ悩んでるんだよね…… どうしたらいいと思う?」

4-1. 対処方法①:意図を汲む

「質問に回答する」というアプローチでは、この問題は対処不可能だ。厳密には回答が不可能だからだ。
一方で、「質問に回答する」以外のアプローチであれば、この問題は対処可能だ。

この質問は擬似問題のようなところがある。
問題はその質問自体ではなく、その質問が問題として現れた状況の方だ。
必要なことは質問自体に対処することではなく、この質問がされた意図や理由に対処すること、ということだ。

表面上の問題
◆そんなの偽善じゃないの?

真の問題
◆「偽善かどうか」は問題なのか?
◆どうして「偽善かどうか」を問題としているのか?
◆どのような目的で「偽善かどうか」を質問してきたのか?

対処例
質問A:「そんなの偽善じゃないの?」
質問自体:回答不能
質問された理由:困らせたいから
相手が求めている返答:「私は浅はかな偽善者でした……」
対処例:
◆穏便に受け流す⇒「あ~そうかも~ごめ~ん」
◆質問を保留する⇒「私は偽善者でも構わない」

質問B:「私のこと本当に愛しているの?」
質問自体:回答不能
質問された理由:不安を感じているから
相手が求めている返答:「本当に愛している!」
対処例:
◆相手の不安に対処する⇒傾聴と解消
◆キッパリと表明する⇒「本当に愛している!」

4-2. 対処方法②:勝手に前提する

不定部分を勝手に仮定した上で回答する。
不定部分というのは、「善とは何か?」や「愛とは何か?」といった部分のことだ。
定義を自分で作り、その持論に基づいて回答するという対処方法だ。

A「そんなの偽善じゃないの?」
⇒「偽善じゃないよ!」
∵持論

B「私のこと本当に愛しているの?」
⇒「本当に愛しているよ!」
∵持論

4-3. 対処方法③:「開き直る」

まだ書いてませんm(_ _)m
「4-1. 対処方法①:意図を汲む」に含まれるかもしれません。

4-4. 対処方法④:「誤魔化す」

まだ書いてませんm(_ _)m
「4-1. 対処方法①:意図を汲む」に含まれるかもしれません。

5. 余談:祈りについて

上に”祈り”という言葉を使ったため、それについても触れておく。
思うに、祈りとは強く信じることだ。

信仰とは、取扱不可能な対象について、取扱不可能性を (知った上で)強引に対象を取り扱おうとする意志や取り組みのことかもしれない。

取扱不可能性によって諸資源を消耗してしまうような取扱不可能な対象が呪いだとすれば、神や霊を信仰することは積極的に呪いにかけられにいくような行動だ。

どこかで聞いて心に残っている言葉がある。
「呪いと祝福は本質的に同じ」

対立的な区分には、本質的な差異が善悪にのみ帰結するようなものがある。
商売と詐欺
発酵と腐敗
教育と洗脳

祝福と呪いもこれらと同じような対なのかもしれない。
信仰は祝福、つまり善き呪いなのかもしれない。

6. まとめ

人を縛る言葉の仕組みとして、取り扱い不可能性を主張した。
人を縛る言葉に対する対処方法を提案した。

おわりに

この記事自体も呪いの形式をとっていることを自白しておきます。呪いに対する呪いです。メタ呪い?
私は祈っているのかもしれません。

ともかく、最後まで読んでくれてありがとうございます!

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